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淺井裕介 「消す」と「描く」が並行する絵画

淺井裕介は旧来の「絵画」や「彫刻」を前進させている類稀なアーティストである。つくる身ぶりは絵画や彫刻とあまり変わらない。けれども、従来の絵画や彫刻では馴染みのなかった素材を駆使することで、これまでにない百花繚乱的なイメージをつくりだしている。その魅力的なイメージの底には、いったいどんな考えがあるのだろうか。先ごろ、東京都現代美術館の「未見の星座〈コンステレーション〉」展に参加した淺井裕介に聞いた。

支持体からの解放

大きな展示室の室内空間全面に描き出された動植物たち。淺井の泥絵は、壁面はもちろん、床や天井、ガラス窓にいたるまで、ありとあらゆる平面を支持体としている。限られた支持体の中でイメージを描写する従来の絵画とは、じつに対照的だ。しかも淺井が用いるメディウムは、土である。

「使っているのは土と水だけです。土は絵具と違って、水をあげると何度でも平面の上で動かすことができる。土と水は相性がいいんです。ふかふかの土には、陶芸土をちょっと混ぜてあげると、粘着性が出てくるので、衝撃を与えない限り剥落することもない。一度乾いてしまえば退色だってほとんどしないんです」。

泥絵が絵画を更新しているとすれば、彫刻をバージョンアップしているのが「マスキングプラント」である。通常、マスキングテープは着彩や保護のために使われる二次的な材料とされることが多い。だが淺井は、これを立体表現のための主要な素材として採用した。本展では展示されなかったが、近年淺井はマスキングテープで形成した立体的な支持体を空間の四方八方に手足のように張り巡らせた作品を手がけている。

「支持体を作ってからマジックで絵を描いていくんです。前々から何かと何かのあいだの空間が気になっていたんですよ。足と足のあいだとか、木の枝と枝のあいだとか。そういうところに描く方法はないか、ずっと考えていた。この描き方であれば、歴史的な建築とか自然の木立とか、どんな場所でも、空気の上に描くというか、あまり傷つけないで利用できることを発見したんです」。

淺井が絵画や彫刻を更新しているというのは、彼が優れたイメージを生むからだけでなく、その場の空間にふさわしい支持体をつくるところからはじめているからだ。いや、絵画の場合、淺井は支持体という束縛から解放されていると言ったほうがいいかもしれない。いずれにせよ、そうすることでイメージの自由度が飛躍的に高まっている。そこが画期的なのだ。

イメージの客体として

さて、これほどまでに旺盛な制作意欲には、いったいどんな背景があるのだろうか。

「自分の中に『弁』があるんです。それを開けているときは絵を描く、閉じるときは描かない。基本的には、どうすれば生きているあいだ中、新鮮さを失わないまま、ずうっと開けっ放しにしていられるかって勝負をしてて、どんなイメージが出てくるのか、自分でもわからない。根っこにあるのは、見てみたいという衝動です。手を動かしてどんなものが生まれてくるのか、自分がいちばん見てみたい」。

つまり淺井は、多くのアーティストのようにイメージを統合する主体ではなく、逆にイメージ自身の客体となっている。内発的な衝動を視覚化するようなアーティストではないのだ。それは、たとえば次のような受動的で柔軟な構えにも現れている。

「僕自身は、完成の一歩前で方向性が変わる瞬間が、いちばん楽しい。植物を描こうと思っていたところに急に眼が現われたり、上下が逆転したり。そうやってどこから来たのかわからないものを受け容れていくと、手数がどんどん増えていく。たとえば野外で描くとき、雨が降った次の日は地面が濡れているから『今日は中止』ではなく、そのときにできることをやる。すると、逆に仕事が増えて、絵がどんどん広がっていく。僕の仕事は、そういう瞬間を受け入れられる環境と自分の心理的なコンディションを整えておくことなんです」。

消される運命の絵画

ところで淺井裕介の泥絵のもっとも大きな特徴は、その大半が消去を運命づけられているという点である。どれだけ壮大な泥絵を描いたとしても、展覧会の会期が終了すると、水できれいに洗い流してしまう。

「残そうと思えば残せるんですけど、どちらかといえば消すほうが自然だと直感的に思うんです。残すと将来の人に見てもらえるけど、消す場合は今現在の人に見てもらうしかない。描いているときから一筆一筆に消すことが織り込まれているから、いつか死んじゃう生命みたいに思えてくる。だから、今現在のリアルを精一杯立ち上げようとがんばるんです」。

「ものって必要だからつくられるけど、必要がなくなったら消えていくじゃないですか。人がつくるものって、多くの場合、残すことを前提にしているけど、消すことを前提にしてものをつくるのが本来のあり方だと思うんです。だから消す前提でつくったものが残ることになるのがいちばん幸せですよね。その瞬間が訪れることをいつも待ち望んでいます」。

淺井の制作風景を観察すると、消すことと描くことが並行しているのがよくわかる。土の絵具をかき消すことでイメージを出現させる陰画的な手法を採用しているだけではない。すでに描いたイメージでも、会期中に消して、別の新たなイメージを生むことすらある。生成と消滅を繰り返しながら全体が成長していく淺井の絵画には、無機物の塊のような無粋な絵画とは対照的に、まさしく有機的な生命体のような豊かさ哀しさが満ち溢れているのだ。

初出:「美術手帖」2015年5月号

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