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古賀史健

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古賀史健の note、2018年以降のぜんぶです。それ以前のものは、まとめ損ねました。
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2023年4月の記事一覧

太陽と犬。または神のアナグラム。

太陽と犬。または神のアナグラム。

光合成、と人はそれを呼ぶ。

人間の家で暮らす犬が、窓辺やベランダの、日の当たる場所に横たわるさまを指してそう呼ぶ。犬はとても気持ちよさそうに眠っている。しかしそれは「ぽかぽかと気持ちよさそうだ」なんて感想をはるかに上回る本格的な日光浴で、「ちょっとやりすぎじゃない?」と見ているこちらが心配になるほどいつまでも日に当たっている。事実、喉が渇くなどして日光浴を中断した彼の身体を触ると、「あつあつ」と

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たまには停電もいいもんだ。

たまには停電もいいもんだ。

数日前の夜、オフィスが停電になった。

東京電力さんの問題ではなく、建物の問題である。オフィスの入っている建物でそこそこ大規模な工事をやるらしく、夜9時以降は全館停電となったのである。停電であれば、できる仕事もない。パソコンはバッテリーで稼働するものの、照明がない。ロウソクを立てて仕事するわけにもいかんだろう。ひさしぶりに、夜9時を過ぎる前に帰宅した。

休むのがうまくないぼくは、放っておくと夜の

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暴力的な丸坊主の男。

暴力的な丸坊主の男。

昭和の、そして田舎の中学生だった。

さすがにいまでは違うと思うけども、うちの中学では男子は丸坊主、という校則があった。だからぼくも中学の3年間、丸坊主だった。床屋に行くこともなく、自宅のバリカンで散髪していた。正直なところを言うと、髪を伸ばしたい気持ちはさほどなかった。しかし、丸坊主にする理由だけはいちおう教えてほしかった。2年生のとき、学年主任に訊いた。どうしてぼくらは丸坊主なんですか。彼は「

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会話の水を流す板。

会話の水を流す板。

立て板に水、という言いまわしがある。

立てた板に水を流すように、という意味なのだろう。よどみなく、べらべらと、こちらを無視するかのごとく喋りまくる様子をさして、そう言う。やや意地の悪い書きぶりになっているのは、立て板に水で語られる話がめったにおもしろくならないからで、それというのもここにはコミュニケーションが存在しておらず、頭のなかにあるペーパーを読み上げるようにして一方的に語られることばだから

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その愚行を全肯定するために。

その愚行を全肯定するために。

週末、豆腐ステーキを焼いた。

メインディッシュではない。ひさしぶりに家飲みで、焼いた牛肉を食べた。しかしながら酒が少し残り、肉は食い終わり、いやしい口がもう少しなにか食べたがっていた。冷蔵庫を開けると、賞味期限1日オーバーの豆腐。これだったらいいだろう。カロリー的にも、フードロス的な観点からも、むしろほめられるべき食事だろう。そう思って、やや多めのオリーブオイルで豆腐を焼いた。塩と胡椒、ステーキ

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削減せざる経費。

削減せざる経費。

会社に、あたらしいプリンタを入れた。

プリンターのことをぼくは「プリンタ」と表記する。声に出すときには長音付きの「プリンター」なのに、文字ではなんだか「プリンタ」になる。そしてメーカーの取扱説明書には「プリンター」と書いてある。そうか、正解はプリンターなのか。それでもまあ、校閲さんが入る原稿ではないので「プリンタ」で統一する。

コンピュータについては世間においても、長音付きの「コンピューター」

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おめでとうと、ありがとう。

おめでとうと、ありがとう。

好きなことばは「重版出来」。

Twitterのプロフィール欄にそう書いている編集者さんや作家さん、ライターさんは多い。ぼくだって好きだ。大好きだ。どんなに少部数の重版であれ、心底うれしく思うし、ありがたく思う。

これはもう、お名前を出してもかまわないと思うのでご本人に許可を取ることなく書くと、ダイヤモンド社に今泉憲志さんという編集者さんがいる。編集者というより、書籍編集局の局長さんだ。『取材・

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他人の悪口を言わない生き方は。

他人の悪口を言わない生き方は。

松井秀喜さんは、人前で他人の悪口を言ったことがないのだそうだ。

正確には中学2年生のときから。食卓で友だちの悪口をこぼした松井さんに対し、お父さんが「悪口を言うなんて下品なことをするな。いまここで二度と他人の悪口は言わないと約束しなさい」と叱責。松井さんはそのときの約束を守ってずっと、他人の悪口を言わないようにしているのだという。

他人の悪口を言わない。それがどれだけむずかしいことであるかは、

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おれがうどんを出すのなら。

おれがうどんを出すのなら。

会社の近くに、いい感じのうどん屋さんを見つけた。

食べてみて、なかなかいいじゃないかと思った。また近いうちに行ってみよう、今度は釜玉うどんにしてみよう、なんて思っている。ことによると明日にでも行ってしまうかもしれない。いい感じのうどん屋さん。いい感じのそば屋さん。会社の近くにそれがあるのは、とてもうれしいことだ。

同じ麺類でありながらラーメン屋さんは、すこし違う。たとえば、どうだろう。いい感じ

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あのころを超えるカロリーを。

あのころを超えるカロリーを。

先週は、ふたつのコンサートに足を運んだ。

ボブ・ディランと、エリック・クラプトン。とても令和5年とは思えない並びだ。「まあ、おっさんたちはそういう懐メロでも聴いておけばいいさ」なんて思う人もいるだろう。ぼくにしても正直、ライブを観に行くというよりも、「あの人を拝みに行く」みたいな気持ちのまま、会場に向かった。

ところが今回、ふたりともすばらしかった。

なんて言うんだろう、渋みとか円熟味とかで

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こころの知覚過敏。

こころの知覚過敏。

知覚過敏。きのうの夜から知覚過敏。

虫歯ではない。歯のあいだに食べものが挟まっているわけでもない。けれどもどこか、違和感がある。歯の裏にアルミホイルを貼りつけたような人工的痛みが、ぼんやりある。「うずく」というほどではない。「違和感」で片づけるには、やや痛い。そのうち治るのだろうけれど、それ専用の歯みがき粉を買いに行こう。

……と、書きながら思った。

たとえば花粉症。これも知覚過敏のひとつだ

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かかりつけ医の横顔に。

かかりつけ医の横顔に。

ひさしぶりに、病院に行った。

もう15年以上通っている、かかりつけのお医者さんだ。はじめて訪ねたときは、あまりに不摂生な生活態度を厳しく叱られた。なんて怖いおじさんに当たっちゃったんだ、と頭を抱えた。そして別の日、無自覚な嫌味(だったのか?)を言われたりもした。

そしてきょう、いつものように問診をして、猫背ぎみの姿勢のままその内容をキーボードで打ち込んでいく彼の横顔に、「お互い年をとりましたね

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『2016年の週刊文春』

『2016年の週刊文春』

柳澤健さんの『2016年の週刊文春』が文庫になった。

2020年に刊行されたハードカバーは全528ページの大著。そして今回の文庫版は全736ページ(!)である。長いと言うべきか、でかいと言うべきか、著者、編集者、そして取材に応じた関係者の情念が乗り移ったかのような、分厚い一冊だ。

それでも最初に読んだ2020年当時、ぼくはひと晩でこれを読み切った。読書を朝までやめることができず、明け方に完走し

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その音が聞こえるうちに。

その音が聞こえるうちに。

高校生のころ、ストーン・ローゼズというバンドが好きだった。

マンチェスター出身の4人組。ぼくが高校生のころにデビューアルバムを発表し、ぼくを虜にさせ、レコード会社の移籍だ裁判だといろいろありながらセカンドアルバムの発表まで、たしか5年以上沈黙しつづけたバンドだ。

彼らはのちに解散し、2012年に再結成した。その復活ライブを観るため、はるばるマンチェスターまで出かけるほどに、大好きなバンドだった

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