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梅雨の弱った心にそっと寄り添ってくれた本。『つめたいよるに』江國香織

 五月病をようやく乗り越えたと思ったら、今度は梅雨、低気圧。どうやら季節は私の気を休ませてはくれないようだ。

 その日は朝から憂鬱だった。低気圧で体調がすこぶるよろしくない。なんだか気持ちまでモヤモヤとイライラが募って、今朝、母と他愛もないことで喧嘩をした。母に言われたたった一言で、自分の何かがぽきっと折れてしまった。今日はもう頑張れない日。

 授業が終わった後、私は何か気分転換になるものを求めて、学校の図書館へ入った。金欠の学生の味方、図書館はパラダイスだ。
 特に何かの本を探しているわけではなかったので、文庫本コーナーを「あ」から順番に本を辿ってみた。特に意味もなく、世の中にはいろんな名前の作家さんが存在するんだな~とぼんやりと思った。
 「え」のところで、江國香織さんの名前が目に留まった。彼女の本が何冊も並んでいる中で、私が目に留まったのは『つめたいよるに』(新潮文庫)という短編集だった。私はその本を手に取り、ぱらりと1ページ目を開いてみた。

「歩きながら、私は涙がとまらなかった。」

『つめたいよるに』(新潮文庫)
12ページ「デューク」より引用

 そんな書き出しが目に留まって、私はその続きを自然と目で追いかけていた。それは愛犬、デュークを亡くしたばかりの女の子の話だった。
 私はその本を借りることにした。他の本も、名前順の「し」のあたりまで、ざっと目を通してみたが、いまいちピンと来なかった。きっと今日は、この一冊と出会う運命なのだと思い、結局この一冊を借りて図書館をあとにして、駅へ向かった。

 帰りの電車に乗ると、運よく座ることができた。私は重たい鉛のようなリュック(私の悩ましい肩こりの原因で、その日は特に重かった)を膝に置いて、先ほど借りた本『つめたいよるに』をさっそく読み始めた。書き出しで泣いていた彼女がどうなっていくのか、先ほどから気になっていたのだ。


 「デューク」を読み終えた私の第一声は、「とても、良かった」である。活字の中にある美しい世界観が、私の憂鬱な心にゆっくりと沈み込んでくれた。数ページほどの短い話だったが、読みながら、心地よい感覚に包まれた。

 江國香織さんの本は、以前、集英社文庫の『すきまのおともだちたち』を読んで以来だった。『すきまのおともだちたち』はファンタジーな世界観が特徴的だったが、こちらは現実世界の話。だけど読みながら、どこか浮世離れしたような、夢を見ているような、ふわふわとした感覚があった。でもすごくリアルな感覚も、確かにある。うまくいけないけれど、とても好きだ。

 話をひとつ読んで、私は本を閉じた。残りは帰ってから読むことにした。

 私の今朝の憂鬱は、この本と出会うためだったのかもしれない。今朝まで沈みきっていた私の心は回復していた。
 良い本と出会うためなら、嫌なことも、そう悪くないかもしれない。いや、でも、いくらそう言ったところで、やっぱり嫌なものは何度味わっても嫌なことに変わりはない。
 しかし、その嫌な感じも、やさぐれた感じも含めて吹き飛ばしてしまえるくらい、この本は良かった。読んでいる瞬間の、あのなんともいえない感覚が、心地よい。これだから本のある生活はたまらないのだ。


 私は今のこの感覚を書き留めておきたくて、スマホメモに本の感想を書き綴った。それがこの文章である。スマホで文章を書いているうちに、あっという間に最寄り駅に着いてしまった。長くも短くもない通学時間が、その日は秒で過ぎていた。私は文章を書いている途中のスマホを慌ててリュックに入れると、電車を降りた。

 ふいに、無性にケーキが食べたくなった。駅の近くのケーキ屋さんで、シュークリームでも買って帰ろうかな、という考えがふと頭をよぎったが、すぐにかき消された。今は金欠であることを忘れてはならない。

 私は帰り道を歩きながら、ケーキを買う代わりに、帰ったらココアを淹れることに決めた。疲れた日に飲むココアは、とびきり幸せな気持ちになれる。帰るのが楽しみになってきた。私は自分を幸せにする天才か。

 お砂糖を入れて、とびきり甘いやつにしてやるぞ。その上に、ミルクフォーマーで泡をモコモコにして入れてやる。それで、味が薄くならないように、ココアパウダーは濃いめに溶かそう。

 ああ、もう、なんなら、自分でケーキでも焼いてやろうかな。簡単そうなシフォンケーキとか、マフィンとかなら、ホットケーキミックスで作れた気がする。砂糖とチョコレートも入れれば、じゅうぶん甘くなる。半ばやけくそなケーキだって、きっと味は美味しいはずだ。

 そんなことを考えているうちに、あっという間に家に着いた。


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