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それはまるで、自分なくしの旅 『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』感想

かつて、自分探しという言葉が流行った。

今ではずいぶんと手垢が付いて、下手に扱えば簡単に揚げ足を取られるような薄っぺらいワードの代表となった。"ほんとうの自分"なんてそもそも存在しないし、海外に数日旅行したぐらいで変わる価値観なんて初めから無かったのと一緒。そんなカウンターパンチがどこからともなく顎先を狙ってくる。

「自分なくしの旅」

これは「マイブーム」や「ゆるキャラ」という言葉を生み出した、みうらじゅんさんの本のタイトルである。オードリーの若林さんが書いた表題の本を読んで頭に浮かんだのは、自分探しとは対極を成すこの言葉だった。

キューバ、モンゴル、アイスランド。日本とは異なる文化やシステムを持つ各国をひとりで旅した若林さん。彼はその目に何を見たのか。何を見つけ、何を見つけなかったのか。

勝ち組、負け組、マウント、承認欲求…そんな言葉がいつの間にか蔓延するようになった都市生活。東京を離れ、一度インポート仕様の自分を置き去りにしてこなければ確かめられなかったことがあったようだ。

ぼくは今から5日間だけ、灰色の街と無関係になる (本文より)

これは自分の内面しか見ようとしてこなかった男が初めて自意識の外へと飛び出し、世界と肉眼で対峙し、生身を通じて「とある確信」を得るまでの傑作紀行文である。

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豊かな文体に引き込まれる

若林さんの著書はエッセイ『ナナメの夕暮れ』を読んだことがあった。それなりに楽しく読めたという記憶はあるものの、これといって印象に残ってるわけではなかった。芸人・若林正恭らしい視点を堪能する分には良かった反面、意外性や期待値を超える濃密さを汲み取れなかったからかもしれない。

本書は紀行文ということもあってか、これまでのイメージとは異なる筆致を見せている。若林さん特有の感性が内面ではなく、外に向けられてることで閉塞感が無い。

また日本と各国を比較した社会的な視点も随所に挟み込まれ、しかもそれが本人の実学に基づいて語られているので浅い感じがしない。情報の横流しではなく、しっかりひとりの人間の中で消化された教養だと分かる。テンポも表現もユーモアも絶妙な塩梅。若林さんの頭の中や心の動きが、豊かな文体を通して心地よく味わうことができ、得体の知れなかった異国がだんだん身近なものになっていく。

一介のお笑い芸人が書いた単なるエッセイや、そのファンだけが満足できる範疇を余裕で超えている。そりゃ賞のひとつぐらい獲るわって納得(本書は斎藤茂太賞受賞)。

紀行文が苦手な人にもオススメ

個人的にも紀行文は普段あまり読まない。特に海外の旅エッセイは苦手な部類ですらある。旅した当人だけの、自己満足の延長のような気がしてリアリティを感じられないことが多いからだ。

その点、本書は日本との距離感が生々しく、いい意味で地続きの視点がある。日本もキューバも同じ世界の一部で、人間同士のコミュニケーションも共通しているのだと信じられる。若林さんの感想も等身大で好感を持てる。

キューバも、モンゴルも、アイスランドも、いずれも日本とは違う。日本との比較だけではない。キューバとモンゴルも違うし、モンゴルとアイスランドだって当然違うのだ。大枠、どんな国であれ同じ人間が文明を肥しながら生きているのだから想像を遥かにかけ離れていることはない。対して細部においては決定的に異なる景色やシステム、信じられないような文化も存在する。

そんなマクロとミクロの両方の視座を持って肌身で世界を知ることは、得られる情報量も段違いだし、何より代え難い財産となるのだろう。

とりわけ印象的だったのは、キューバのマレコン通りで亡くなった親父さんに想いをめぐらせる場面。いつかの情景がオーバーラップし、心の底から求めていたモノ、その正体を若林さんが掴んでいく姿がありありと読み取れる印象的な章だ。

色を失くせば、また色が入る

僕らは多忙な毎日を過ごしている。若林さんと同じく、僕も東京に生きている。街のテンションは高く、せわしない。モノが溢れている一方で、消費も淘汰も早い。ジオラマの一部になったみたいに暮らし、肩ひじ張ってどうにかやり過ごす日々。情報量の多さに気が滅入ることも多い。

だからこそ、生活拠点から離れ、あえて自分を無くすような動きをすることで、初めて見えてくるものがあるはずだ。それは街の灯りがすべて停電したとき、皮肉にも星が綺麗に見えたみたいな発見。近すぎてもピントは合わない。俯瞰で自分や街を見つめられる場所へと赴き、自意識の外へと這い出す作業はきっと必要なのだ。繊細な人間であれば尚更ね。

あとがきに書かれていて、ものすごく響いた一節を引用する。

生き易い人は内面をそこまで覗き込む必要がない。スムーズな走行をしている車のボンネットを開ける必要はないからだ。だから、生まれつき生きるセンスがある人は最初から外に目が向いている。(中略) 俺はボンネットを開けて欠落の構造を自分なりに理解した時に、これからもずっと生き辛いだろうし、そして、これからも大切な価値にたくさん出逢うだろうという諦念と感謝が同時に生まれた。その感情が芽生えてからは、内面を覗き込む時間が少なくなっていった。

若林さんがこの旅で巡り会ったもの。

それは"血の通った関係と没頭"

文字にしたところで何のことか、その真理や厚みが伝わることはないだろう。

この答えの奥行きを知ることが出来るのは、本書を最後まで読んだ人だけだ。読了した僕は、まだ読んでいない多くの人よりもいち早く、自分なくしの旅へと出かける準備が出来ている。



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