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持続可能な消毒用アルコールを売って欲しい

ヘッダ画像をお借りしています。ドラッグストアではもちろん、スーパーなんかでもPB(プライベートブランド)にまで特化された消毒関係の製品がわざわざコーナーを設けられてまで売られるようになりました。

それは良いことです。消毒しないと多分ぼくらは死ぬ世界に生きている。なんだけど、いつまで店舗側の、ひいてはメーカー側の意識が消毒の初期段階どまりなんだろう?

「初期段階」という表現が意味するものはパッケージを販売するだけにとどまる店舗がやたら多いことです。パッケージとはつまり初めて消毒に至るシーンを指す。

例えばおうちでアルコール消毒しようと活気づく。玄関あたりにアルコール消毒用の瓶だのなんだのを置くことになる。これも良いことだ。なぜなら消毒意識を得た最初期はパッケージを持ってないからです。

つまり上述の薬屋なりスーパーが液体アルコールが入った瓶ごと売ってくれれば「少なくとも最初の当事者意識には訴えかけられる」マーケティングが実現するわけです。

ただ、残念なことにいくらなんでももうその初期段階意識を持つべき年月日から3年が経過しようとしているにもかかわらず、その初期投資キットだけを延々といつまでも売り続けているという現実がぼくらの目の前にある。

メーカー側は「詰替え用パック」の生産を初期キット以上に奮うべきだし、小売だか卸売側は詰替え用製品のコーナーをすら設けるべきだ。

これがぼくの周りだけなら良いんだけど、どこの小売店に行ってもいつまでもいつまでもあのノズルがついたアルコール入りプラスチック容器をズラッと並べ立てて売っている。これは全くSDGs的ではない。

この初期キットのいやらしいところは消費者目線で単価がものすごく高いことです。メーカー側も、初期投資用なんだからいくらでも高くてええやろwみたいな気持ちで売ってるんちゃうかと思われたくはないはずだ。印刷機を激烈に安く売って、インクをめちゃくちゃ高く売る商売方法じゃないんだから。

メーカーも、小売も、原価率が異様に低い(であろう)この初期キットをいつまで売り続けるんだろうか。消毒用品がこの世に存在する意味とは何か?言い方を変えれば消毒用品のマーケティングを考える上で利用者へ与えうる便益とは何だろう?

それは健康であり、雑菌のない社会です。つまり常に消毒とともにある生活が延々と続くことこそが消毒製品が存在する意味、目的であり、ひいては生き物の健康、生命の営みが保ち続けられることこそが便益だ。

このように考えると、軽い気持ちで消毒用品を売るなんて烏滸がましいということが理解できる。何が原価率の低さだ?と言えてしまう。

この「消毒製品がもたらすべき便益」に再度立ち戻り、まずメーカー側は、初期キットのノズル付きプラ瓶ばかり仕入れている小売があるなら「ぜひコストも抑えられた詰替え用を」と勧めるべきだし、小売側もメーカーに対し「ノズル付き初期キットばかり売ろうとすんのやめてくれる?詰替えなくてプラ消費ばっか増やしてどうすんねん……」と導き合うべきだ。

消毒に関わる商品はもはや商品じゃない。生活インフラなわけです。

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だから、SDGs的に生産され、エシカルに消費しねえか?という社会的に存在するための要件を消毒用品には満たして欲しいという思いこそがぼくの #清潔のマイルール です……………………………………………………………………という言い方で適しているのだろうか。

清潔のマイルールといいますか、「清潔のマイルールが世間に育つための土壌を形成するためのルール」がまだ浅いんじゃねえか、みたいな事かもしれない。

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