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ショートショート 『祭りの夜』

 ずっと団地が嫌いだった。
 父の仕事の関係で、僕は二年程度のスパンで幾つもの団地を住み替えてきた。ひばりヶ丘の後は、緑が丘、城南、朝陽台、青葉台、城北と。
 名前から分かるように、ほとんどの団地は丘の上にあった。それまでにあった山をパワーショベルで切り崩し、無理矢理たいらにして意味のない名前をつけ、ワラワラと人間が引っ越してきた土地だ。
 すべての団地が退屈だった。
 昔ながらの商店も、細くて薄暗い路地も、酔っぱらいが怒鳴る盛り場もない、フラットでのっぺりした団地。アパート、マンション、分譲住宅、無個性な公園、スーパー、公民館、団地の規模によっては退屈な学校。それでお終いだ。
 ウィークデーの午後、ほとんど通る者のいない団地の道路が白く光っている。ゴーストタウンだ。これっぽっちの刺激もない。どこかの家から、くだらないワイドショーの音だけが聞こえる。

 ただ、その日はちょっと違った。
 祭りの日なのだ。
 学校の友人たちも、どこか浮足立っていた。校舎の窓から見える、秋の空は深い青色だった。
「今日は降下訓練があります。その時間は、校庭に出ないように」
 黒板の前、銀縁メガネを光らせた教師が言った。
 祭りに合わせたわけではないだろうが、今日はパラシュート部隊が降下訓練をする日だった。日米の軍がうちの校庭に向かって降りてくるらしい。見ものであることは間違いない。
 僕たちが見守る中、彼らは降りてきた。
 青い空の彼方から、何十人もの男たちが降ってきた。不思議なことに、彼らの上にパラシュートの本体は見えなかった。だから彼らは天使のようにすら見えた。もしくは悪魔か?
 彼らは一旦、校舎を囲む高い金網の柵の上に降り、皆でまたがった。
 多すぎる兵士たちの重量に、柵がきしみ、たわんだ。ゆらゆら、と。窓越しに、僕と目が合った男が、何かを僕に言った。しかし彼の言葉は理解できなかった。

 降下訓練が終わると、僕たちは下校した。僕は、団地を貫く道路をはさんだ向かい側に住む、三宮さんのみやと一緒に帰った。別に気の合う男でもなかった。
 彼は、今夜の祭りのことを話題にしていた。
 歩道には、オレンジ色の丸い光たちが転がっていた。ただあるだけではない。それらは意志を持って動いていた。僕たちは、光が猫であることを知っていた。もちろん、普通の家で飼われているような猫じゃあない。この光こそ、本物の猫なんだ。彼らは祭りに関係して現れる。
 僕たちは一度家に帰ると、夕方になるのを待ち、皆で集まって祭りの会場に下りていった。
 そうだ、祭りは団地の中で行われるのではない。この道をずっと下りた、昔ながらの土地で行われる。
 道は、すぐに舗装されていない、土の道になった。それだけでも、団地というものが薄っぺらい、かさぶたのようなものに過ぎないことが分かるだろう。
 道の両側には、田んぼや畑が広がっていた。日も暮れて、そこで働く人の姿は見えなかった。
 三宮や、他の友人たちと一緒だったが、僕が気にかけているのは、クラスメイトである一人の少女だけった。僕は皆の影の向こう、小気味よく動く彼女のポニーテイルだけを目で追っていた。

 やがて僕たちは谷の底についた。
 正面には古い寺が建っている。話によれば、とても古く、仏陀が生まれるよりもずっと昔に建てられた寺らしい。薄暗い境内は、背後の森と一体化し、その境が分からないほどだった。
 気がつくと、彼女の姿がなかった。
 僕は、自分がそれを予感していたことを知っていた。たぶん彼女は寺の中に入っていったのだ。そうすれば、もう二度と会うことはできないのに。
 手の中にあった何かを失ってしまったような気分で、僕は寺の左側に連なっている屋台の中に入っていった。取っ掛かりの店の中から出てきたショートカットの少女が挑むように僕を見た。
「どうせ、あののことしか考えていないんでしょう?」
 彼女は言った。

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