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【朗読】朝の名前

文月悠光
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どこかに行き着くまでは
わたしも名も無きひとりです。

 *

その朝に名前はなかった。
キオスクに並ぶ雑誌の表紙だけが
あざやかに様変わりしている。
輪っかのかたちの路線図を見上げれば
日々は電車のように駆け入ってくる。
開くドアへ足を向けるのは、
わたしの顔をした誰か。
肩を不自由に扉に押しつけて
もうすこし
ここに触れていたいと願う。

あなたも わたしも鮮明ではない。
それぞれが違う現実を編み上げるので
世界はきれいに像を結ばない。
隣人同士、違う景色を見るゆえに
必ずどこかぼやけてしまう。
ひとの思いだけが幾重にもかさなる。
揺れ動く車窓に、目でたずねてみる。
わたしの輪郭はどこですか。

腕組みをしてうつむく女性、
新聞をばさりと広げる会社員、
スマホに目を落とす女子高生。
どこかに行き着くまでは
わたしも名も無きひとりです。
換気する窓の風に吹かれて
一直線に運ばれていく。
きょうも
わたしたちは
あの中にいます。

詩「朝の名前」文月悠光


*「婦人之友」2021年5月号 ミヨシ石鹸さん広告より。
毎月、裏表紙広告欄に詩を書き下ろしています✍
写真:岩倉しおりさん

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