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*18 フランクライヒ

 ミュンヘンから帰る家路の電車のなかの退屈を凌ぐ為に、それから春先に不図ふと思い付いた夢想上の冒険計画を現実のものにする為に、ミュンヘン中央駅の雑誌店で私はパリの案内冊子ガイドブックを購入した。三種類ほどあった案内冊子は装丁こそ様々であったがどれも同様に見難みにくく、おまけにどれも金額が私の想定よりも随分高かったから、しばらく見比べた後、金額と内容が丁度吊り合っていると納得したものを買い上げて、見送りに来てくれていた友人と挨拶を交わし電車に乗り込むと、それからおよそ二時間の旅路を案内冊子片手に過ごした。エッフェル塔、凱旋門、ノートルダム寺院、シャンゼリゼ通り、ルーブル美術館と聞いた事のみあった観光名所をいざ地図の上で確認すると、なるほどそれらの位置関係が分かった。位置関係が分かると、今度はそれらを見て回るのに大体どれくらいの時間が要るんだか大雑把に計算が出来た。パリのブーランジェリーやパティスリーを一度はこの目で見ておきたいという希望が、この春先にパリ旅行の計画が浮かんだ純粋な切掛きっかけではあったが、どうせ行くなら有名な観光名所も一目見ておきたいと思った。そうして地図の上を歩き、ドイツ語で書かれた説明文を頭の中で解釈してはその情景などを想像していると、矢張りパリへ行かなければなるまいという気持ちがみるみる盛り上がった。然しそれと同時に、一人旅に付き纏う言語に関する不安もまたみるみる盛り上がった。
 
 今年の春先のパリ旅行計画を漠然と思い付いた頃、私は同時に英語の学習も始めていた。学習と呼ぶにはいささか細々とし過ぎているくらいな実態ではあるが、それでも、そうした微々たる活動であるからこそ、毎日の継続が果たして私の身になるのかどうかという一点を暴かんとするのが私の興味の真の矛先であり、期限も基準も定めていない学習でまさか語学試験を目指そうなどとはごうも思わず、ただドイツ語圏外へ飛び出したいと自分が予期せず欲した時に背中さえ押してやれればそれで良いといったくらいで始めた学習であった。それだからこれまで長閑のんびりと実に悠長に学習を進めて来た私であったが、いよいよその目的の一端であるドイツ語圏外への旅行を実際のものと認識し始めた時、悠長な学習にも期限と基準が自らによって設けられ、そこで己の語学力と冒険心とを天秤に掛けた時、未熟な実力が故に今回の機会を見送る事も止むを得まいとさえ思うに至っていた。心配症の常である。
 
 
 そんな私は近頃、仕事中に見習い生のマリオと時折英語を交えて喋る事があった。いや喋ると言っては見栄である。実際は会話の中で英語の言葉を二三入れて遊ぶくらいなものであるが、無意識にしていたそれの御陰で英語を口にする事への抵抗は幾らか薄まっていっているように思われた。ドイツ語を学び始めたばかりの頃も、そう言えば発音については余り困っていたという記憶が無いように、英語の言葉を発していてもドイツ語との音の違いを面白がるばかりで、そこに苦労を要する様な気配さえ感じられなかった。然しこう自ら断言してみると些か自尊心の猛烈な男に見定められかねないので断っておくが、これは間違っても才や能の類の話ではなく、あくまでもただ聞こえた音に対して、例えば動物の鳴き真似をする要領で、唇や舌や喉を同じように動かしているだけに過ぎなかった。
 
 マリオはつい先日まで義務教育で英語を学んでいた身であったから私なんかよりも英語をよく理解していた。或る日私が工房の掃除中、「パリで最も良いパン屋は何処にありますか」と英語でおもむろに発した時などは、少し離れた所にいたはずのマリオがそれを聞いており「私は知りません、何故ならパリをまだ訪れた事がありませんから」と英語で返事をし、私はそれをまるで理解出来なかった。それほどの差が彼と私の間に、もっと言えば英語と私の間にはあった。

 木曜日、マリオと共に休憩に入った私は、休憩室に入りそこのキッチンでキッシュの具材を準備していたダイアナに挨拶をすると、何の気無しに彼女にフランスの話を仕掛けた。これまで彼女が何度かフランスへ行った事があると知っていた私は、パリにも行った事があるのかと聞くと、彼女は無いと答えた。そうしてまた、そう何度もフランスを訪れるにあたって英語かフランス語は出来るのかと尋ねると、フランス語が出来ないのは勿論、英語も満足には喋れないんだと言った。何でもフランスに行く際は家族とキャンピングカーで行くという話であった。まあ何れにしても彼女が英語もフランス語も持たずともフランス旅行をしているという事実は一つ私の勇気にも成り得たが、マリオと英語だパリだと盛り上がっている所にダイアナが「でもフランスはフランス語しか通用しないわよ」と気の毒そうな表情で伝えて来た。その時の私は、パリは観光地だからきっと英語でも大丈夫さと気丈夫であったが、不安の嵩が増したのもまた事実であった。


 金曜日にまた休憩にレバーケ※1ーゼが振る舞われ皆で卓を囲んだ。最近やけにレバーケーゼや寿司が立て続いたから、何故なんだとアンドレに尋ねると「俺の誕生日があったからそれで振る舞うんだ」と、一ヶ月も前に歳を重ねた男が答えた。
 
 この日の休憩はレバーケーゼの有無に関わらず大変な盛り上がりを見せた。これからクリスマスに向かって忙しくなる仕事の話、今年の暮れ頃に完成する予定の新しい工房の話などを中心に皆其々に冗談を交えつつ考えを口にした。私も笑いながら其々の顔を見ながら話を聞いていたわけであるが、誰を見ても表情がくるくると変わり手も忙しく動いた。声の強弱も抑揚も凄まじく、いつしか芝居でも見ている様な気分になるほど、仮に文字に起こせば平坦な話であっても皆劇的ドラマチックに仕立てていた。顔文字を生身で表していると言えばしっくりくる。
 
 そんな話の中で十月にシュトゥット※2ガルトで行われるSüdbackスードバックという製パン製菓メッセの話が若チーフであるマリアの口から出た。私はこのメッセの話を一時帰国中に出会った女性から聞いて知り、それを以前マリアに話した所、職場の皆で行こうという話になっていたのである。マリアは意気揚々と「改めて、Südbackスードバックに行きたい人は」と挙手を促し、私を含む四人が手を挙げた。それに続いて日時が十月の二十二日だと言われた時、私は「やっぱり行けない」と手をおろした。その日はちょうど私の有給休暇が始まる日であった。即ちパリへ行こうと企んでいるまさにその時機であった。マリアはぽそり「残念」と言った。
 
 私の正面に座っていたアンドレが「有給休暇でまた日本へ行くのか」と冗談めかして聞いて来たので「それには短か過ぎる、パリだ」と私がついに答えると、今度はマリアが「パリ?素敵ね。私も過去に何度か行ったわ」と恍惚とした表情で両の頬を両手で其々支えて言った。そうしてまた「羨ましいわ。私がパリへ行くからあなたがメッセへ行く事にしましょう」と冗談を、然し本心からパリを羨んでいるのが分かる調子で言ってきた。その日の仕事後には彼女からパリの情景を映した動画が送られてきた。
 
 まるでドイツ語圏の外へ出る事に怖気付いている私の背中を押すかのような今週の一連の出来事であった。私がパリの案内冊子を買ってから、言語の不安が湧き上がり、ダイアナにも注意を促され、そうしてマリアの持つパリへの熱と慕情が私の好奇心を猛烈に刺戟する迄の流れは、見事に私の言語に対する不安を拭い去り、到頭パリへ行く決意を固いものとした。そう言えば今週から有給休暇に入ったシェフが製パンのグループチャットに送った、スペインでサングリ※3アを飲むヴァカンスらしい姿の写真も私の心をくすぐった。冒険までの準備期間は後一ヶ月である。
 


『パリ旅行計画を漠然と思い付いた』頃の詳細はコチラの記事から】
※16:55~ ベルエポックとパリ旅行計画の話


(※1)レバーケーゼ:ドイツ(主に南)の郷土料理の一つ。
(※2)シュトゥットガルト:ドイツ、バーデン=ヴュルテンベルク州の街。
(※3)サングリア:スペインやポルトガルで飲まれる赤ワインに果物などを入れたフレーバードワインの一種。

※この作品では一部実在しない表現/漢字を使用しています。

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