見出し画像

サスティナビリティからランニングを考える 1

    走り始めた動機は千差万別ながら、最初の一歩を踏み出すという行為は、新たな人生の幕開けであり、ランナーなら誰しもが経験している。そして、その瞬間には想像すらしなかったであろうそれぞれのランニングの世界を垣間見ながら、私たちは生命の中で走っている。

 Joe Hendersonは、私たちに次のようなメッセージを送っている。「良いタイムを出せる時期はつかの間だ。速く走ることのできる期間は短く、やってきたと思ったらもう去って行ってしまう。ランナーは頂点の時期を長く維持したいと願うだろうが、そのような願いはあたかも水や風の流れを堰き止め、太陽や季節の巡りを後戻りさせるようなもので、所詮むなしいと気づくべきだ。これに対して、ランニングそのものは、日々走り、走って心地よいと感じ、明日もその次の日ももっと走りたいと願う、このようにして一生を通じて続けていくことができる。この移ろいやすい世界にあって、私たちには永らく続いてくれる対象が必要なのではないか。」と。Hendersonは、人生における喜びや豊かさを与えてくれるランニングが、時として身体を痛めたり傷つけたりした自らの経験を通じて、LSDという言葉を50年前に創造し、ランニングと人生との関係性を私たちに伝えようとしていたのだろう。そして、なにより彼自身がランニングを一生続けて行くことを強く願っているに違いない。
 私は、Hendersonのメッセージに触れて、最近よく見聞きする「サステイナビリティ(以下;持続可能性)」という言葉を連想した。それは「ランニングの持続可能性」あるいは「持続可能性のためのランニング」である。

 これからの投稿は、ランニングの世界25号に寄稿した原文を数回に分けてここに掲載したいと思う。

2へと続く

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?