いのちを支えることば

戦乱にも災害にも不治の病にも見舞われていない自分は幸せなのだ、と思い込もうとしても、自分だけが不幸と不条理の塊なのだ誰よりも、と思うことがどうしても、ある。

自分の意思ではどうにもならない現実、自分の責めではないにも関わらずそれを背負って生きていかなければならない、出口の見えない日々、そのことに疲れ果てて、重荷を下ろすのではなく自分が消えてゆきたい、そんな心もちになる日が、確かにある。

そんな時は、挑戦することを鼓舞するような、強いメッセージよりも、現実の壁にぶち当たり、その壁にもたれてへたり込んだ時思わずもらすため息、といった言葉のほうが、より鋭く、深く刺さる。

「苦しんだわりには 実りは少ないな」
(「ハミングバード」Syrup16g )

「You can't always get what you want
〜欲しいものがいつも手に入るとは限らない」
(「無情の世界」THE ROLLING STONES)

「子どもは不幸を和らげる、しかし苦労を一段と辛いものにする」
(「ベーコン随想集」F・ベーコン)

「ながらへば またこのごろや しのばれむ
憂しと見し世ぞ 今は恋しき」
(「新古今和歌集」藤原清輔)

昔だろうが今だろうが、目の前だろうが海の向こうだろうが、ひとの苦しみはいつも変わらずある。自分だけではない、他のひとも同じように苦しんでいる、同じ思いをしている、そんな言葉に触れた時、少しだけ心が楽になる。
投げ捨てようとした生を、もう少し生きてみようかと思う。まだ、後ろ向きで、背中を丸めて座り込んでいるままだけれど。

介護の勉強をした時、重要視されたのが「傾聴」だった。耳だけではなく、心で聞く。同じ心情になって、耳を傾ける。
慣れないうちは、なかなか難しい。話の相手は所詮他人であり、全く同じ人生経験をしているわけでもなく、その内容がこちらの想像力を超える場合も多々ある。
それでも、簡単なコツというものがある。相手の話のなかの言葉、キーワードを繰り返すということだ。「私、あれ買ったんだ」「あ、あれ買ったんだ?」というふうに。

こちらから先回りをせず、同じ言葉を繰り返すことで、同じ場所にいるんだよ、ということが分かってもらえる。そして相手は、自分の意見を肯定してもらえた、ひいては自分の存在を認めてもらえた、という安心感を抱ける。
そんな小さなことの繰り返しが、相手の人生をさりげなく、支えていく。そうして出来た、目に見えない支えは、小さくない。

自分が出会った言葉は、自分を傾聴してくれていた。自分の苦しみに同調してくれるそれらは、命を支え、命をつなげる言葉だった。
自分のことばは、誰かを支えているだろうか。
誰かの生に、塞げない穴を穿ったりはしていないだろうか。

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