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理想の文化人類学の概説書とは何だろうか?(後半)——「ディスカッション授業実践ガイドブック」の配布について

私にとっての理想の概説書(入門書・教科書)であることの条件の2点目は、「使える」かどうかである。多くの文化人類学の教科書は、それ自体、読み物としての魅力がある。しかし、それらを授業で使用するとき、どこか物足りなさを感じてしまう。そもそも「読んで、理解して、終わり」ということであれば授業はいらない。しかし、じっさい教科書は授業で使用することが前提となるため、授業のなかでどう使うのかを念頭において教科書を作成しなければならない。

このとき重要になるのが、よく各章の最後に「おまけ」のように付いている「課題」である。各章のテーマを受けて「〇〇について考えてみよう」といった問いかけの形で載せてあるのを見たことがある人も多いだろう。

これまでの私が担当した授業で、このような課題を使ったディスカッションを実施したことがある。だが、使い方がよく分からず、ほとんど役に立たなかった(念のため言っておくが、それは「地域で学ぶ文化人類学」シリーズではない)。

そこで、本書ではこの「課題」をしっかり使えるものにしようという方針を掲げた。各章末には3つの問いが示してある。これらの問いの多くは、各章の内容を踏まえなければ答えられないようにしてある。なおかつ、教員向けに「ディスカッション授業実践ガイドブック」まで作成した(希望する教員に無償配布)。

今日、アクティブラーニングの導入が声高に叫ばれている。私自身はあまりこういった流れに無批判にのることは避けたいと思っているが、それでも学生たちが一方的に話を聞くだけの授業は、あまりやりたくない。今回、教科書を制作したのは、必要な知識はそれぞれの分野の専門家が執筆した文章を読むことで得てもらい、授業はディスカッションを中心に展開したかったからである。

文化人類学の学びは、単に自分の身近でない異文化の慣習や風習についての知識を増やすことにとどまらず、こうした知識を得たうえで、自分の暗黙の前提に気づくことに重点が置かれるべきだ。このとき、自分で考えてこの気づきが得られるようにするには、自分の経験をもとに言葉を紡ぎ出し、人々とその言葉を共有できる環境があるのが望ましい。だからこそ、人類学の学びではディスカッションを中心にすべきなのだ。

以下ではもう少し具体的に、本書ではどのように章末の「課題」を設定したのか、そしてどのように使えばよいのかを説明しよう。次の問いは、第4章「歴史と記憶」の章末「課題」の中に含まれている。

「歴史」といわれるジャンルに、それ以外の神話、物語、伝説などの特徴が潜んでいる例を探し、歴史とそれ以外のジャンルとの連続性と差異は何かを、本章3(1)を参照して考えてみよう。

『東南アジアで学ぶ文化人類学』p.82

 第4章ではインドネシアのウォリオ人の歴史観について述べられている。ウォリオ社会では、私たちが理解するような史実と神話・物語・伝説が緩やかにつながっている。こうした現象を知ることによって、彼らの社会は私たちとは異なり、客観性が重視されていない社会だと考えるのではなく、もしかしたら私たちの社会にも、史実とそれ以外が明確に分かれていない現象が見いだせるかもしれないと問い返す。

このように彼らを通して自分たちの身の回りの現象を問い返すことで、彼我の違いを強調するのではなく、そのつながりを意識する。ディスカッションでは、こういった問い返しの作業を繰り返すことで、私たちの常識を問い直すレッスンをするのである。

さて、このようなディスカッション型の授業は、俗に「反転授業」とも言われる。この反転授業の試みを通して、どの程度、人類学の魅力が伝わるか。私自身は、本書をひとつのツールとして授業を展開したいと思っている。

また、授業を受けるわけではない一般の読者であっても、本文を読みながら課題に答えることで、人類学のものの見方を自身の身近な事例から理解する助けになるので、ぜひ取り組んでもらいたい。

「ディスカッション授業実践ガイドブック」が欲しい!という教員の方は、Google Formを通してご連絡ください。

あるいは昭和堂のウェブサイトの「この本に関するお問い合わせ・感想」ボタンを通してご連絡いただく形でも構いません。その場合、件名に「ディスカッション授業実践マニュアル」と必ず書いて、氏名と所属をお知らせください。

なお、大学あるいはそれに類する機関の教員のみに配布可能です。学生や一般の方には配布できませんのでご了承ください。

「ディスカッション授業実践マニュアル」の一部

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