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昭和の電話事情【エッセイ】


“家電(いえでん)”しかなかった頃。

まだ、スマホも携帯電話もそしてもう今では使われなくなったポケベルもなかった昭和の頃の話し。
今では気軽に直接電話をしたい相手とスマホで会話出来るが、自分が若い頃は相手の家の電話にかけるしかなかった。
そう誰が電話の受話器を取るかわからない。
昭和の頃はそれが当たり前だった。
中学生、高校生くらいなると男女交際をするようになるが相手と電話で話しをする時は、家にある一般回線の電話で会話する。
特に学生の頃は、女の子の家に電話をするのは緊張したものだ。
恋愛とか関係ないところで、小学生の頃は、女の子の家にほとんど電話をすることもない。
中学生になると少しは電話をすることもあるようになる。
たがその多くは、電話するのはクラスの女の子で連絡事項の伝達のための電話なので緊張することはないといっても、電話をその家の誰が出るかわからないので多少の緊張はある。
話したい相手が受話器を取ってくれるとそこでほっとする。
それが相手以外の家族の人が取ると緊張するものだが「◯◯さんのお宅ですが、▢▢さんはいらっしゃいますか?同じクラスの△△と言います」と言う。
「ちょと待ってね」とスムーズに取り次いでもらえる。
高校生くらいなると他校との女の子との付き合いも出て来て、電話をすることもある。
付き合いだして間もない頃に電話する時は相手の家族は僕のことを知らない。
電話をかけて、相手が受話器を取るとこちらから「◯◯さんのお宅ですが、△△と言います。▢▢さんはいらっしゃいますか?」と言う。
そうすると「どちらの△△さんですか?」と聞かれたり、「どんな要件ですか?」、「どんな関係ですか?」などと詮索される。
家族の人は、相手がどんな人間か確認出来なければ取り次いではくれない。
そんな感じのやり取りが彼女以外の家族の人と済むとスムーズに電話を取り次いでもらえるようになる。
だから、今スマホで相手と直接通話出来るのと違い。
その電話の印象で、その家族に気にいられるか、気にいられないかに左右する。
基本的に1家庭に電話回線は1回線。
電話機の置かれている場所をその家庭によって異なり、居間だったり、玄関だったりと違う。
そして、その頃は受話器はワイヤレスではなく、決まった場所に電話機は置かれてその場所で会話をしなければならなかった。
多くの場合、家族が集まる居間に置かれてことが多く、通話の内容はぼぼ家族に筒抜けなのである。
それとあまり長話も出来ない。
さらに成人して、彼女が遠方に住んでいる場合、いわゆる遠距離恋愛をしている場合は、通話料も距離が離れいるほど高くなる。
遠く離れている分、会うことが出来ないから、電話で話したいのだが、電話通話料金が高いため毎日することも出来ないし、長話も出来ない。
だから、お互いの気持ちを伝える手段として、手紙を書くのである。
でも、手紙が送って届くのは2日か3日後。その返事が帰って来るのは、早くてその2日から3日後。タイムラグが生じる。
電話は、タイムラグもないし、声の感じで、相手の感情も感じることが出来る。
そういうこともあって、電話での会話は緊張もあったし、ドキドキ感はその頃知らない若い世代に想像出来ないかも知れない。
不便ではあったが情緒があった。
短い会話での駆け引き、同居している家族に会話の内容も聞かれることもあるので話す内容も言葉もえらばなけばならないなどの制約もあった。
今はそんなことが懐かしく思う。
昭和の時代は、情緒的だったと言われるのは、こういうこともあったからだと思う。


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