見出し画像

短編小説 なぜ、生かされて来たのか 其の三 分けあって最終回の続き(684字)


僕は一瞬見えた賽子に絶句した。

暫く立ち尽くし、やっと、発した。

「そんな、馬鹿な」

ホモサピエンス(人間)であり続ける事。

命の自分史


僕は
大自然の子分で、無慈悲な全ての死をコントロールしていると言い放った

声の主に問うた。

「我々ホモサピエンスは、種を栄えさせる為に懸命に生きている、生きる為

に戒律を作り、社会生活を円滑にし死を恐れ、

それを退ける方策を考え、日々実行している、

それを大自然の論理で貶さないでほしい、

我々は大自然と共に生きたいのだ。」

大自然の子分の賽子を振る存在を否定するのか

「そんな事を言っているのではない、大自然の論理は尊重している。

我々人間の共同体では、個々を敬い、賢明に生きる事が尊いのだ。

我々人間は、それを信じて坦々と生きているのだ。

大自然の巨大な力は、知っているが、

だからといってあきらめる事は絶対にしない。」

ほう、知っているのに、知らん振り、何故ーなぜなのー か。

「我々の大脳皮質は死を恐れているのではない、

生を全うする事を要求しているのだ、

だから安易に死を受け入れない、我々には我々の死生観がある」

ならば、戦争、自死、死後を語る宗教、大した矛盾だな

「戦争は不幸だが懸命に生きようとする集団同士の生の対立だ。

自死を完全に望むものは誰一人いない、

皆どこかで止める何かが起こる事を望んでいる。

宗教は清く生きる為の個々人が信じる方策に過ぎない。」

なるほどホモサピエンスの生命活動に口を挟むなと言う事か。

いいだろう。

その言葉を最後に、煙の様な霧は消え初め、太陽が差し始めた。

僕はこの情景に、両手を広げて太陽を浴び大自然の偉大さを感じていた。

たぶん、おわり。







 


この記事が参加している募集

文学フリマ

よろしければサポートよろしくお願いします。励みになります。