見出し画像

初めてのサイテイな日を越えて

ボックスティッシュ2箱、ポケット
ティッシュ5つ、それだけでも少しは
分かって頂けるだろうか。

地位も名誉、名声もお金も全てを
失い、「悟り」という表現にしよう。
人間、裸一貫で歩き出す勇気と力が
あるのだろうか

私には、その「悟り」の境地には、一歩
踏み出す事が出来なかった。
いざと言うとき、私は弱い人間だった。

一からやり直し、いい言葉だと思うが、
ゼロ、マイナスからのやり直しという
過酷な状況でも、同じようにいい言葉を
発する事が出来るのか。

私はやはり出来なかった。
どんなに泥だらけで這いつくばろうとも
「想い」「それを受け入れる人」という
一番の強欲さが、捨てられなかった。

それぞれの人生の不安というモノは
簡単には、取り除く事は出来ないもの。

求めるものの大きさと、自分で解決を
出来ない「人の想い」を失いたくなかった。
そんな愚か者が、人生のサイテイな日、
心は壊れてしまった。

嗚咽とともに、今までの自分からは
想像も出来ないものが、目と鼻から
これでもかと、言わんばかりに
吹き出してきた。

失う恐怖とは、こう言うものかと
実感した。時間にして、約2時間。
手が震えるくらいで、何も手に
つかない時間が続いた。

サイテイな最期を待っていた。
しかし、そこには一筋に光明が
僅かながら、私に降り注いだのだ。

考えもしなかった。
本当にこの光を辿って良いのか
答えは出なかったが、私の涙が
その答えだったと思う。

それは「死ぬまでの生きる希望」に
なった。
サイテイな日の時計は12時を過ぎ、
新しい日を迎えてくれた。

死ぬ気でやっても、死なないものだ。
そんな言葉が脳裏をよぎり、私の
一歩が生まれた瞬間だった。

頼る気も、すがるつもりもない、
泥にまみれた自分を立ち上がらせた。

「まだ、捨てられないようだ」
「もう少しだけ、チャンスを掴む力を」

その私の目には、もう涙はなかった。
「さあ、行こう!」

短編集は、ありのままの自分を投影しています。共感しうる事もあると、思います。角度を変えてみたり、心理描写を汲み取って頂けると幸いです!