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ちょっとした欲求不満が子どもの心を成長させます

欲求不満というのは、あまり良いイメージを持ちにくい言葉かもしれませんが、人の成長において、とても重要なものなのです。

子どもが欲求不満になる場面はとても多いです。
例えば、おかしやおもちゃをねだっても買ってもらえない時、
してほしいことをすぐしてもらえない時、
遊びたいのに「今はだめ」と言われた時など、たくさんあります。

自分の気持ちが伝わらない時、要望が通らない時、子どもは欲求不満を感じます。
その際、「何でなの!?」と動揺して、怒ったり泣いたりすることも多いです。
そうなると大人は困ったなぁと思ってしまいますが、
そういった体験を通して子どもは
“人生は思い通りにはならないことも多いんだ”
“楽しいことばかりじゃないんだ”
という現実を知っていくのです。

泣いて怒って、感情をぶつけるだけでは状況を変えることができないんだ、と気付けば、子どもは我慢したり、他の方法を探してうまく対処しようと努力したりするようになります。
子ども自身が今本当にすべきことを自分の頭で考え、行動してみる。
うまくいかない時はまた考えて修正する。
こういった、工夫していこうという姿勢を養うために、ほどよい欲求不満が必要なのです。

少しつらい経験をしても、自ら試行錯誤して現実に向き合っていく、その力が子どもたちには必要です。
学校や勉強中など、欲求不満を感じる時はきっとあるでしょう。
宿題が多くてしんどいとか、勉強内容が難しくてイライラするとか…
でもそれに耐えて学習を終えた時、子どもたちは確実に、ちょっとずつでも成長しているのです。
それを支えるには周りの応援と、努力を認める声かけも必要です。
不満と満足のバランスをうまく扱うこと、これを意識しながら子どもたちに関わり、成長を促せたらと思います。

何事も本人が、自ら考えて行動することが大切です。
自分からその気になり、疑問を提示するくらいでなければ、物事の学びとなりません。
周りがお膳立てしたところで、本人の学びにはなりません。知恵が身に付きません。

自分の将来は自分で切り開かなければなりません。
自分は何をしたいのか
今すべきことは何か
問題をどう解決したら良いのか
なぜ要望が通らないのか
まずは自分自身で考え、努力できる子にしていきましょう。

一例ですが、
子ども同士で言い合いをして、お互いに怒って泣いていた・・・
こういう場面は、きょうだいや、幼稚園、保育園、学校でよくありますよね。
仕事で訪問した保育園で、たまたま私もその場面に遭遇しました。
その時、喧嘩していた彼らは私と目が合った瞬間、
一人は「○○くんがおもちゃ取った」と言い、
もう一人は「○○くんがおもちゃ貸してくれなかったから」と言いに決ました。
そこでまた言い合いがヒートアップ。
近くにいた先生はどちらの言い分も聞き、共感しつつ、どちらもよろしくない点があるので、その場をどうおさめれば良いのかとたじたじです。
ついつい、そういう時に大人がしがちなのが、先に悪いことをした方を叱って謝らせる、とか
「喧嘩してはいけません!」とその場を終わらせようとする、とか
そういった感じだと思います。

そこは喧嘩両成敗だと私は思いますし、どちらも叱らないといけないとは思います。
ただ、言い合いになった事実に対してどうこう言ったところで、
悪い方を探すだけになったり、
納得いかないまま子どもに謝らせてしまって、子どもたちの方はなんだかモヤモヤして終わる・・・
叱られたのはお前のせいだ、と根に持つ子だっています。

私がその時、彼らに言ったのは
『喧嘩したいのか、一緒に遊びたいのか、どっち!?』
と一言、スパーンと言いました。
その言葉に、彼らは目を見開いて驚き、言い合いをやめました。
そしてお互いに言ったのは「一緒に遊びたい」という言葉でした。

『遊びたいなら、喧嘩しなくていいよね。どっちが悪いとか言わなくても良いんじゃない?』と伝えると、彼らは「うん」と言って、そのまま遊びに戻っていきました。
さっきまでのことは無かったかのように、一緒に遊び始めたのです。

言い合いの喧嘩自体は後で生じた出来事であって、根本的なことではありません。
彼らは最初一緒に遊んでいて、たまたまおもちゃを無言で持って行ったり、
相手が使っていたことに気付かず自分が使ってしまったり、
些細なミスが生じただけなのです。
そこが幼さゆえに、「それ今ぼくが使ってるから、使うのちょっと待って」などの説明がまだできないのです。
状況を把握する力もまだ幼く、パッと見た事実だけでものを言ってしまうので、
相手がおもちゃを手に取ったら、それは、奪った!と瞬間的に勘違いしてしまうのです。
そこからこじれたことに対してアプローチしても、本人達も何が良くなかったのか、どうすれば喧嘩にならなかったのか、訳が分からなくなります。
そうではなく、元々は何をしたかったのかを思い出させることが必要です。

彼らは、ただ一緒に肩を並べて遊んでいたかっただけです。
そこの原点を思い出させることが大事なのです。
二次的に発生した出来事をどうこうする前に、原点を思い出し、
自分は何をしたかったのか、どうすれば楽しく遊べたのか、今のトラブルをどう解決すべきか、ヒントを与えて子どもに自分で考えさせることが大人の務めです。

小さいからまだ考えられない、言わないと分からない、と決めつけないようにしましょう。
小さい子でも、小さい子なりに考えることはできます。

何でも大人が先走って答えを言えば良いわけではありません。
与えられただけの答えや解決法は子どもの学びと経験にはなりません。
大人が言うべきことはヒントなり、今できそうなこと・考えてほしいことの選択肢を提示することです。

まだいっぱいは考えられない子にはいくつかの選択肢を。
そこから考えて選び取ることが経験となり、知恵となります。
その知恵がつけば、選択肢を出されても、それらはちょっと違うなと思って新たなる選択肢や考えを自ら思い付きます。
そうなっていくことが大事なのです。

子どもに考えさせることをどんどんとしていきましょう。


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