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ポチポチカラオケ

 私はカラオケが嫌いだ。
 演奏が流れて、歌詞が表示されて、それが発音されるタイミングで、歌詞の文字が色で染まっていく、で、それを歌うのは私で、なんか心細いというか、違和感があるなあと、昔から思ってた。
 歌は、唄うものではなく、聴くものだ。
 例えば、歌がうまいとか、カッコいいとか、可愛いとか、そういう人が歌を唄う。私たちは、それを聴く立場だろう。
 だからこそ、高い金を払って、コンサートとかに行ったりしてるのに、なんでそれを私が唄わないといけないの?
 愛だの恋だの、希望だの、または反社会的ななにかとか、恥ずかしいっつーの。
 そういうのを口に出して言ったりができないから、代わりに唄ってもらう、ということで、いわゆる歌手とかアイドルとかが仕事として成立してるのに、なにカラオケって?
 私はアイドルではないのだ。
 カラオケの発祥が日本だと言われるけど、それは多分、昔、まだ日本が景気良かった頃の話だと思うし、バブルで、脳みそがしゅわしゅわに溶けてた頃の日本人に流行ってたんだろう。
 バカ面してアイドル気取りで騒いでる日本人が、目に浮かぶようだ。
 だから私は、カラオケには行きたくなかった。
 バカと一緒にはされたくなかったから。
 でも、行くことになってしまう。
 仕事として。
 私は22歳で、新卒の新入社員だから、入社した会社のことをあまり知らなかった。
 だから、上司から、親睦を深める目的で、みんなでカラオケに行くことになると聞かされたときは、耳を疑った。
 カラオケ?
 「え、なんでカラオケなんですか?」
 と、私が訊くと、
 「だって、若い子はカラオケが好きだろ?」
 と返される。
 若い子はカラオケが好き?
 何言ってんの?
 疑問が次々と浮かぶが、あまりそれは言わない方がいいだろうと思った。
 仕方ない。
 これが嫌な仕事だ。
 引き受けよう。
 そう決意したのが運の尽き。
 狭苦しいカラオケボックスに背広集団がぎゅうぎゅうに座り、上司はバカみたいな大声で時代遅れの昭和歌謡曲なんかを唄い、それに部下である私たちは拍手だのかけ声だのをしないといけなくて、時代錯誤的な気色悪い歌を喜んで聴いている若者を演じないといけなくて、で、若い社員も、そんな昭和の上司に迎合するような昭和の歌を声を張り上げて唄い、それにバカな昭和上司たちは喜んで喝采を挙げ、調子に乗ったお局オバサンが狭苦しい室内で踊り出して大騒ぎで、途中、私は頭痛がしてきて部屋を出たかったのだけど、誰も席をどかなかったから出れなくて、ひたすら耐える二時間だった。
 気づいたら、私は帰路についていた。
 どう終わったのか、お金はどうしたのか、なにも記憶がない。
 とにかく帰宅して、ベッドにへたりこむ。
 また明日も仕事だ。
 で、いつものように、出勤して、仕事をして、みんな、昨日のことなんかなかったかのように、普通に働いてる。
 それが異常に感じられる。
 昼休み、私はこのモヤモヤをなんとかしようと、同期の男子社員に声をかける。
 人気のない路地裏で、二人で話す。
 通勤のこと、仕事のこと、カラオケのこと。
 すると、その男子は変なことを言う。
 「え、昭和の歌を知らないの?」
 「なにそれ」
 「だって、上司たちは昭和の歌が好きだろ?だから、普段からそういうのを聴いたり、カラオケで歌ったりして、練習してるんだ」
 「……」
 「そうすればさ、昭和を知ってる有能な人材ってことで一目おかれるかもしれないじゃん。だからさ、俺、昭和に詳しいんだ」
 「昭和に詳しい?」
 「昭和の働き方、昭和の生き方、いやー、熱い時代だったんだなー、昭和って!」
 「……」
 「俺も昭和に生まれてればなーって思うよ。やっぱ俺、ゆとり世代だから、どうしても昭和の上司たちにはバカにされるんだよな」
 「……へえ」
 「だから俺は、昭和に憧れていて……」
 私は適当に会話を打ち切って立ち去る。
 すると背後から、
 「お前も昭和の名曲、勉強した方がいいぞ」
 と、声をかけられる。
 私は吐き気がする。
 なんで私が、昭和の名曲なんかを唄わないといけないのか?
 バカみたいだが、でもそれが、ある意味では常識で、現実なのだ。
 ここは日本で、私は社会人なのだ。
 だから昭和の人材が偉いのだ。
 だから昭和の歌も……って私は思うけど、でも、それには猛烈な拒否感がある。
 昭和昭和昭和って、そうやって人を時代でくくってしまうことに、普通は抵抗とかを感じるものではないのか?
 昭和の連中って、そんなにバカなのか?
 なんでわからないの?
 私はオフィスに戻る。
 目の前には、普通に働いてる人たち。
 昭和の歌。
 昭和の世界。
 昭和の人材。
 昭和昭和昭和。
 歪んだ時空。
 昭和の歌をなぞる私たち。
 ここはカラオケボックス。
 カラオケの記憶がよみがえり、目眩がする。
 誰かから書類を差し出されるが、それを見る前に、私は意識を失い、倒れてしまう。

 目覚めたのは、病室だった。
 私を見つめるのは、母親だった。
 昭和の母親。
 「やっぱり、いきなり正社員で会社にはいるのは、大変じゃないかなと思ってたけど…」
 母親が言う。
 「まだ、こういう会社で働くのは難しいんじゃないかな」
 「うん。ありがとう」
 と、私は答える。
 それから、私は母親に、カラオケの話をする。
 時代遅れの歌謡曲、旧世代の価値観、それらに迎合するゆとり世代。
 母親は黙って聞いてくれる。
 それがありがたいなと私は思う。
 愛だの恋だの希望でもない、反社会的でもない、なんでもない私の言葉を、母親は聞いてくれている。
 それでいいのだと、私は思う。
 しばらくは、文句を言っていよう。
 それで気がすんだら、また頑張ればいい。

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