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「20代の知人が自殺しました」日本の自殺者数はごまかされている??~改めて自殺について整理してみる~

「グレン君、すまないが葬儀の斎官をしてくれないか?

コロナ当初、当時大卒したての20代だった知人の『父親』と名乗る男性から連絡があった。

「息子が自殺してしまったんだ…」

それは私の人生で3人目の、知り合いの【自殺】だった


昨今、天理教では20歳~40歳で構成されるコミュニティ「青年会」や、次期天理教トップを担うと囁かれている中山大亮氏によって、『自殺へ向かう者へのおたすけ』というテーマが、たびたび取り上げられている。

37歳の私からしても、このコロナ禍に自殺によって知人を亡くし、他人ごとではないと改めて思う。

しかし、安直にこの問題に取り組む前に、この場を借りて改めて『日本の自殺』について整理してみたいと思う。


「実は」自殺者数は減っていない

これを見ると2003年の3万4427人をてっぺんに、自殺者数は減少し続けているようで、政府の取り組みは功を成しているように思える。

このデータを見る限りはこの15年ほどで1万人以上の自殺者が減っているのだ、今の通りの対策を続け、後30年経てば日本では自殺者【ゼロ】も夢じゃない。

『な~んだ、このまま国に任せておいて安心じゃないか。』

そう思ったあなたはダマされている。

この急激な減少には、改ざんとも言えるほどの政府の巧みな誤魔化しが隠されていると、あなたは知っているだろうか?


「変死者報告の急増」というブラフ

次のグラフを見てほしい。

警視庁が発表している、自殺者数のピークだった2003年に近い年と、その約10年後の自殺者数、変死体数の推移だ。


あなたは何か違和感を感じないだろうか?

自殺者数と変死体数の総数はほぼ変わらず、自殺者数から変死体数へ約8000の【死】が入れ替わっている。

いったい2003年のピークを境に何が変わってしまったのか?

変わってしまったのは警察内部もとい、国が定める死因の判定基準の変化だ。


「トリック」元名物刑事の証言

元兵庫県警刑事の飛松五男氏は、次のように証言しています。

「ひと昔前は、自殺に対する考え方も緩く、ある程度は自殺として処理していました。ただ最近は、遺書などの具体的な証拠がなければ、自殺とは認めず、変死体として処理するようになったそうです。


東京で布教中に73歳(当時)の先輩布教師が、変死体の現場に出くわしたエピソードを語ってくれたことがある。

「戸別訪問に歩いてる時にな、薄かったが『クンっ』と変なにおいが漂ってきたんだ。気になってマジマジと家を観察してみると、生きてる人の家は冷蔵庫かなんかが必ず使われているはずなんだが、電気メーターも動いておらず、明らかに怪しかった。『孤独死か?!』と思い警察に来てもらいドアを開けてもらうともう、凄い腐臭でな、警官の陰から覗いた死に体は、そりゃもう骨は分かるがドロドロに溶けて、何がどうなって死んだか分かったもんじゃなかった。

遺書もなく腐乱した状態だと、自殺とは断定できない。

以前であればそれもまた『自殺』として処理していたという。

しかし今は、自殺と断定できなければ検死に回して、それでも結果が断定できなければ【変死体】として処理するのだそうだ。

実数を改ざんしてまで国は、警察は、『自殺が少なくなっている日本』を国民に、そして世界にアピールしたいというのだろうか?

それとも他に何か【目的】が隠されているというのだろうか?


「変死」タレント飯島愛の検死結果

かつてタレントの飯島愛さんが、マンションの一426室で孤独死して、亡くなってから数日後に発見されたことがありました。

彼女は突如、生きる気力を無くして引退しました。

しかし遺書が無いために「自殺」ではなく「変死」にされました。


飯島愛さんの自宅から多量の向精神薬などが出てきています。

ちなみに向精神薬の中に「パキシル」などがあった場合、『自殺に関するリスクが増加するとの報告もある』と添付文書の警告欄に記載されています


あるいは「ジェイゾロフト」という抗ウツ薬にも、同じく『自殺念慮、自殺企図のリスクが増加するとの報告がある』と明確に記されています


精神科医は『死の危険性がある』と承知の上で、このような精神薬を大量に処方しているというのでしょうか?

もちろん『薬を使わずに治したい』と思われる心ある精神科医さんが大多数だとは思うのですが、私の周りにも「こんなに飲み切れるかい?!」というぐらいに異様な量のお薬を処方されている方がチラホラおられます。


薬漬けにして、患者さんは本当に助かるの?

助かるなら、なぜこんなに心を病んで自殺する人が日本には多いの?

助かる以外の【目的】が他にあるの?

ついついそんな邪推をしていまうのは私だけでしょうか?


「儲かる?」自殺より変死体

昔ある人から教わりました。

『人の目的を知りたくば、その行動を注視せよ』

そして経営者だったその人は続けてこう言いました。

『世界のヒミツを知りたくば、お金の流れを注視せよ』


先ほど紹介した元刑事・飛松五男氏は同記事中で続けてこう言われています。

「(自殺ではなく変死だと)見かけ上の自殺者数が減るだけでなく、司法解剖を行うので予算を要求しやすくなる。一石二鳥なわけです。このようなトリックは『統計の魔術』と呼ばれ、考え出した人が警察内部で出世していく」

遺書や明らかな自殺でなければ、【変死体】として処理してしまう方が、警察は儲かるということでしょうか?

結局、世の中は良心や優しさなどではなく、かね・カネ・金に支配されているということでしょうか?

人類が長年築いてきた文明というのはそんなに貧相な応えしかもたらしていないのでしょうか?

(そう言えばお医者さん、もとい病院は病気を治すから儲かるわけではないですよね。医療処置や薬を処方することによって儲かるシステムですよね。なんで受診して健康になった人数×診療報酬にしないのでしょうか?私のような怠け癖の強い人が医者だったら、健康にするより不健康のまま病院通いしてくれた方が商売繁盛万々歳になっちゃう…そんなシステムをなぜ日本は選んでいるのでしょうか?)


「私の結論」自殺者は減っていない

これはG7(主要先進7ヵ国)な中で日本の若者の自殺率です。

20%超え=若者の死因の5分の1は自殺というのが日本という国。

冒頭で記した私の知人も20代前半でした。

このデータですら2011年なので、すでに断定できない自殺が変死体としてカウントされていることを考えると、実自殺者数ははるかに多く、実際の若者の自殺率は25%以上=若者の死因の4分の1は自殺という可能性が濃厚です。


少子高齢化が叫ばれるこの日本で、若者が未来に夢を持てず、生きる気力を無くし、自ら命を絶つ、こんな日本は平和と言えるのでしょうか?

日本の自殺問題は『姿なき紛争』です。

国民同士が争っている目に見える紛争とは違い、国民の一人一人が己の命を今か今かと攻めたて死に追いやる。

この目に見えない個人の内なる争いに、われわれ宗教家は、われわれ日本人は、いかに立ち向かい、『命を活かし合う』真の平和を築けばいいというのでしょうか。

天理教の視線が自殺問題に向いている今、改めて『私たちは何ができるのか?』ともに考えてはみませんか?


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