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ヨーロッパで毎晩野宿してた頃の話

この世界に自分の居場所はあるのだろうか。人生で初めて「絶望」というものを感じた時期だった。


とにかくお金に困っていた。

ノリで日本を飛び出したはいいものの、当時収入は一切なく、日々減っていく預金通帳と毎日睨めっこしていたのを覚えている。
見たところで増えるわけもないのに、手持ち無沙汰になると気付いたらクレカと銀行のアプリを覗いていた。

それでもなぜか日本に帰る気にはなれず、さらにこれまた不思議なことに、バックパッカー天国のアフリカから、物価の高いヨーロッパに向かうことにしたのだ。
たまに理由を聞かれるが、「なんか行きたくなったから」以上でもそれ以下でもない。強いていうなら、イタリアでうまいパスタとピザを食べてみたかった。

そんなわけで安い飛行機を駆使し、まずはアムステルダムにたどり着いた。
この街はとにかくホテル代が高かったものの、空港が市内から近い上に綺麗だったため、寝る場所に困ることはなかった。
ちょうどチューリップの季節で街中が鮮やかに彩られており、アフリカで渇いた私の心は、たちまち潤いを取り戻した。花束のような街だった。

運河のほとりで昼すがらビールとクロワッサンを頬張り、楽しそうに話す若いカップルを、どこか映画を見るような気持ちで眺める日々。
町外れの喫茶店に入ると、そこは陽気な音楽と地元民の活気で溢れ、一杯のHeinekennを片手にその喧騒に身を委ねた。

穏やかで平穏な日々。老後はオランダに住みたいなぁとか本気で思ってしまうほど、この国に流れる時間はゆったりとしていて、優雅だった。



もっとも、そんな日々の中で一つの問題が生じる。
友達ができなかったのだ。

アフリカでは飲み屋に行けば誰かしらと仲良くなれ、What’s appを交換し、ホームパーティーなどにも誘ってもらえた。一緒に旅行も行けた。日本人というだけで、それなりの価値を見出してくれていたのだろう。

しかし、ヨーロッパではそうはいかなかった。
彼らのコミュニティーには白人しかおらず、どこぞの馬の骨とも知らぬアジア人に、居場所を提供してくれる人には出会えなかったのだ。

「人という字は、人と人が支え合ってできている」という言葉の通り、人間の幸福には社会性が不可欠なのだろう。少なくとも自分はそうだった。

晴れやかだった気持ちにはだんだんと暗雲が立ち込んでいき、「誰かと話したい」という渇きは強くなるばかりだった。

そんな思いはアムステルダムを離れても、変わることはなかった。パリに行っても、ナポリに行っても、うまいピザやパスタを食べてもだ。

空港が市街から遠い街に行くことも増え、次第に野宿をして夜を明かすことになった。



ところでみなさんは、ホームレスが日中寝ていることが多い理由をご存知だろうか。
経験して分かったことだが、彼らは別に四六時中寝ているわけではない。夜寝られないから昼寝ているのだ。

夜の街には危険がつきまとう。
ナポリでは薬でキマった女性の集団に追い回され、バーリでは酔ったインド人に突然殴りかかられた。
ブリュッセルではホームレスの縄張り争いに巻き込まれて靴を投げられ、パリでは寒さのあまり本気で死を覚悟した。
特に一度寝てしまうと体温の低下が著しく、「寝るな。寝たら死ぬぞ」というあの言葉の意味を思いしった。

日中は街中をあてもなくぶらつき、夜は高速バス乗り場で寒さに耐える生活が続いた。
ヨーロッパの高速バス乗り場は、24時間なんらかのバスが発着しており、まともな人が常に一定数いるため野宿には最適だったのだ。
しかし、何かしらの目的を持って、違う街へと移動していく彼らを見るのは辛かった。
何もすることがなく、誰からも必要とされず、ただ傍観するだけの自分の惨めさが浮き彫りになるからだ。
私はあの映画の登場人物にはなれない。私は彼らを見ているけれど、彼らは決して私を見ていない。そんな気がした。

親子連れが高そうな服を着て、レストランで食事をしている。お行儀の悪い子供に手を焼く親の顔からは、煩わしさよりも愛おしさが滲み出ていた。
2ユーロのメトロ代も払えず、重い荷物を引きずってあてもなく1日3万歩以上を歩き、不味い水道水を飲み、50セントの硬いフランスパンを噛みちぎる私からは、どんな感情が滲み出ていたのだろうか。いつかあの親子に聞いてみたい。

人生はお金じゃない。そう語るのはいつだって、それを手にしてきた人たちだ。
お金があるからといって心が満たされないのはわかる。ただ、お金がない状態で、自分の精神を保つのは並大抵のことではないと思うのだ。


お金がない、たったそれだけのことで、自分が小さくなったように感じ、ひもじく、切なく、惨めな気持ちになる。誰かを恨み、妬み、憤った。
生け簀産まれの温室育ち。恵まれたやつはだいたい友達な養殖ボーイには、当然初めての感情だった。

もう何日風呂に入っていないだろう。ここのところ炭水化物しか摂っていない。
衣食住は、人間が健康で文化的な最低限度の生活を送る必要条件だったのだ。

いつか日本に戻り、社会に戻り、以前のような生活を取り戻した自分は、あの絶望を思い出すことも無くなっていくのだろう。
そしてそれと同時に、毎日3万歩以上を歩く気力をも失ってしまうかもしれない。

そう、「絶望」や「渇き」というのは、人間に生を実感させ、突き動かす唯一無二の原動力でもあるのだ。


醜さを認め、愛し、受け入れられる。そんな人間でいたい。




寝るな。寝たら死ぬぞ。


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