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北の色

折に触れて思い出す言葉が二つある。
普段は特に思い返すこともない、ごくごく短い言葉。けれど、それは時としてゆりかごのように僕を守ってくれる。

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「来るもんは来る。

来た時に受けてたちゃあえぇ」

ハリー・ポッターシリーズの中で、ホグワーツの森の番人ハグリッドがハリーに言った言葉だ。将来の不安に肩を落とすハリーに、ハグリッドはそう言った。
心配性でネガティブ思考で、すぐに不安に襲われてどうしようもなくなる僕にとっては、とんでもない言葉だった。
ハグリッドらしく、どっしりかまえていて、どことなく無責任にも感じられる考え方。おおらかで、大きな度量が見える。
"未来のことなどわかりはしないのだから、今悩まんでよろしい。その時にどうするか考えりゃいい"。……僕なりに言い換えるなら、そんな感じだろうか。
そう、人間誰しも未来を生きることはしていない。今という今、この瞬間を生きている。そして、未来予知など虚構の中のことでしかない。
だったら、うだうだ未来のことを悩んでいても仕方がない。特に悪いことは考えないに限る。目の前が曇るだけだから。
悪いことが起こるかもしれない。来るもんは来る、かもしれない。でも、それはとにかく今は目の前に姿を見せていない。
あれこれ最悪な事態の予測に縛られて、今楽しむべきことまで消してしまう必要はない。
もちろん、ネガティブは一概に悪とは言えない。僕もネガティブだからわかる。ネガティブとは、転ばぬ先の杖だ。
でも時には、今だけに目を向けてみてもいい。そうすれば、今、立ち上がれるくらいには気が楽になる。今、意識して整えなくても息がつける。今、泣きたくなるほど安心できる。──そんなことも、起こるかもしれない。
(但し、今に追い詰められている人にはお勧めしない。そういう人は、別の記事で追い詰められた心を癒せる言葉を探すべきだ。)

たまには、来るなら来いと強気になってみるのも悪くないかも。それまでには、どうにかできる力を身に付けているはず、たぶん。
そう、ちょっと奮い立たせてくれた言葉。

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「今日なんとかなれば

まぁ、なんとかなるぞ」

これは、ヘタリアに出てくるロマーノのキャラソンの一部だ。
書き出してみると、別段中身はない。ひどく曖昧で、背中を押してるんだか布団に寝かせようとしてんだかもわからない。
でも。
しんどい時、この言葉を聞いたら肩の力が抜けて涙が出た。今日生きているだけで、それだけでいいと言われているような気がした。
南イタリアの人は、なんくるないさ精神が濃いという。その気質を十二分に表した歌詞だと思う。実際のイタリアーノが聞いたらどう思うかは別として。
先にも述べた通り、僕の性格はあまり明るくない。
だからこそ、この歌詞に救われた。
そうか、とにかく今日乗り切ればいいのか。明日のことなんて後回しでいいんだ。今日、寝つくまでなんとか乗り切ればいいのか。
……そうやって、一日だけをなんとかする。人生はその繰り返しだ。
いつも"身を削るように頑張る"なんてできっこない。僕なんかは、努力や根性が何より嫌いな人間だから、尚更に。
それでも、今日一日くらいならなんとかできそうな気持ちになれる。たった一日だと思えばこそ。
"全力"ではなく、"なんとかなれば"。
それが大事。人はみな、いつだって頑張っている。それがどの程度なのかはマチマチだとしても。頑張っている。
楽天的で曖昧なものが必要だ。
──いいじゃんいいじゃん、悪くないじゃん! なに、ちょっと失敗? いいのいいの、こうして隠しちゃえば完璧に見えんだからさ。
それくらいの、テキトーさが必要なのだ。長い長い人生なんだから、先のことばかり見ていられない。一日だけ、短い間だけ。
なんとか、してみよう。
そうすりゃ、なんとかなる。

余計なことは考えない。なんとかなるんだから、なんとかする。まぁ、なんとか。そうやって一日だけを繰り返すうちに、もしかしたらすごいことが待っているかもしれない。
そんな風に思わせてくれる言葉。

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僕の生き方、ものの捉え方の一色を作り上げた言葉たち。本当はもっと沢山、色々あるはずなんだけど。
この文章を書くにあたって、真っ先に誰かに届いて欲しかったのは、この二つだった。
ということで、誰かに届くことを祈って。