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『生きることとしてのダイアローグ』を読んでは独り言

様々な本をつまみ食い的に読み進め
食い散らかしては積んだりしている
並行読書と言えば聴こえはいいが
単に読み終える胆力が無いだけだったりする

そんな読んだんだか読んでいないんだか
積んだんだか積んでいないんだか
といった本達を読んでは独り言を書き記していきたい

ということで
今日から本を読んでは独り言noteを
はじめていきたいと思う

初日である本日は
この本を取り上げたい

心に染み入る言葉の多い本書
その中から本日は次の文章を記憶に留めておきたい

生きた人間を、当事者不在のまま完結させてしまうような認識にとっての、声なき客体とかしてはならない。人間のうちには、本人だけが自意識と言葉による自由な行為のなかで開示できるなにかがつねに存在しており、それは、当事者不在のまま外面化してしまうような定義ではとらえきれない。〔・・・〕人間は生きているかぎりは、自分がいまだ完結していないこと、いまだ自分の最後の言葉をいいおわっていないことを生の糧としているのである。(6.69)

桑野隆.生きることとしてのダイアローグ.岩波書店,2021,15p

声なき客体
なんのこっちゃと思うかもしれないが
おそらく誰もがしてしまっていることとも言えるかもしれない

私は日頃
街の薬局で働いているが
そこで交わされる会話を例にして書いてみよう

「○○さんね、あの方は一人暮らしだからか不安になりやすいみたいだよ」
これを定式化してみると以下のようになる

〇〇さん=一人暮らし→不安になりやすい

矢印は「だから」という意味だと思ってもらいたい
どうだろうか
レッテルを貼ることと言ってもいいのかもしれない

その人自身が自分のことを認識している言葉であれば良いのかもしれないが
引用箇所にもあるように「当事者不在」のまま
言葉で人を形作ってしまう

その結果
その人自身の中で
自分はこうじゃないという想いや
決め付けられたくない気持ちが
湧き出てくるのだと思う

自分が完結していないことを生の糧としている
そう思いつつも
他人を完結したものとして見てしまう
そこには言葉の限界というか
認識の限界もあるのだと思うが
相手の存在を認めた上で
人と人とのお付き合いができればいいのだろう

ダラダラと書き殴ってみたが
自分でも何を書いているのやら
という感じかな

まぁこんな感じで
取り止めのない文章を書き続けていきたい

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