嫌われないための生き方をやめる
ここ数日 ずっと同じことを言っています。
あれ?デジャヴかな?
と思った方もいると思いますが大丈夫です。
ほんまに何回も同じこと言ってます。
それは
好きなものは好きと言い
嫌なことははっきり嫌と言うこと
です。
前回のブログにも書いてるし
Twitterでも配信でも言っている。
それだけ自分の中で変化を起こしたいことなのでしょう。
僕は嫌われるのが怖い。
だけど嫌われないために生きることも嫌い。
そんなふたつの気持ちがぶつかり合って
歪な形で外に出てしまうことがあります。
自分の中に相手を入れないといけない
そう思い込んでいました。
それが
でした。
自分には自分の好き嫌いがある。
人には人の好き嫌いがある。
それぞれを[A][B]として
そもそもが[A]と[B]は別のものであることが自然なのに
[AB]でなければいけないようになってしまっていたのかなあと思います。
ミスチルが好きな[A]とミスチルが嫌いな[B]が[AB]でいようとすると
好きだ嫌いだで争いごとが起こる。
好き(1)嫌い(2)だけでもそういうことが起こるのに
人生観(a,b)や価値観(!,?)も混ざってくるともうどうしようもない。
[A1?B2a我慢1b我慢C!?Db我慢?!2aE…ドッカーーーーーン!!
やんのかこるあああああああ!!?!!!?!?!?(心の中で)
これが「嫌われないために生きる」の行く末のように感じます。
嫌われたくないという気持ちは
[A]の出入り口を半開きにしてしまうようなイメージで
Bを自分から招き入れることに繋がります。
そして自分の中に入って来る違う思考に拒絶反応を起こし追い出そうとする。
何も言えないことによって我慢が引き起こる。
これが摩擦になっていく。
何か言っても 何も言わなくても
[AB]であろうとする限り疲れてしまう。
そこで出て来る意見のひとつが
人それぞれ
そう、これが僕も1番しっくり来る言葉なのですが
この言葉の解釈の仕方が重要なのだと思います。
「人それぞれ」を人の意見をはねのけるように使ってしまうと
自分以外信用しない人になってしまいます。
←[A] [B]→
アニメとかでよくあるやつイメージしてください。
こんな感じ。
背中向けあってるしちょっと悲しそうですよね。
こんな風に距離を開けにいってしまうことも
「嫌われないための生き方」なのかもしれません。
僕はずっとこのどちらかに偏ったり
真ん中でウロウロしてきました。
人の気持ちを考えるということを
[AB]を成立させることだと思っていたからです。
だからどこにいようと嫌われるのが怖かったんです。
人と関わると摩擦はいつかどこかで必ず起こります。
それは避けられません。
だけど人と生きることは摩擦を起こすことではないと思うのです。
それぞれが同じ世界でそれぞれの好きや嫌いを認めあえればいい。
『[A][B][C][D][E][F]』
[ ]をこじ開けようとしてくる人がいたら自分から距離をとればいい。
離れることで存在を認められればそれでいい。
『←[A]←[B]』
心地いい距離感も人それぞれ
『←[A] ←[C]』
もし不意に嫌なことに出会ってしまって[ ]が崩されたら
その分好きなものに触れて修復すればいい。
嫌われないための生き方をやめて
好きなものは好き
嫌いなものは嫌い
そう言っていきたい。
そしてそう思うようになってからひとついいことがありました。
好きを話したくなる回数の方が多くなりました。
今日もお互い心に正直にすごして
楽しい、面白いがひとつでも増えるといいですね:-)
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