命の価値は変わるか
全然知らない人と身内の死は価値が変わると思っている。ただそれは命そのものではなくて自分にとっての大切さの違いだ。
3.11の地震や阪神大震災みたいに歴史的に大きな災害や戦争や事件の時だけ黙祷をしたり話題になることがあまり好きではない。
記憶に残る大規模なものであったことは間違いないし、そういうものに注目したくなる気持ちは僕にもあるのだけれど、毎日どこかで誰かが死んでいるし、小さくても事件は起こっている。
同じように知らない命はなくなっているのに祈ったり祈らなかったりどこで価値が分かれているのだろうと思ってしまうのだ。
大体の人はそんなに深く考えてはいないのかもしれない。大きな事件だから報道されて、思い出したから思いを馳せてみる。そんな感じだろう。
そんな風に僕らは「なにか巨大なもの」に振り回されている気がする。
例えばミュージシャンの夢といえば武道館を想像する人は今も多いのではないだろうか。
だけどそこでライブをするには1万人のお客さん、スタッフ、会社の人、機材を用意してくれる人、書き始めたらきりがないぐらいの「ひとりひとり」の力が必要になる。
武道館を「なにか巨大なもの」として見ていると実態のない幻影をつかもうとしてすり抜けてしまうようなことになるだろう。
一気にまるごと手に入れてしまえればいいのだけれど、その本体は小さな点だったりするのだと思う。
大きなことに比べたら小さなことは大したことないように見える。
でも実は小さなことが全てなのかもしれない。大が小を兼ねているのではなくて、小が大を作っている。
あの大災害もたったひとつの命の終わりなのだ。
[この記事の元になったツイート]
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