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経済的自由は、政治的自由に優先する

中国には政治的自由(※1)は、ありませんが、経済的自由(※2)はあります。そして経済的自由は、政治的自由に優先する

※1:政治的自由=人権、表現・信条の自由など
※2:経済的自由=衣食住の充実、自由に使えるお金の確保、お金を稼ぐ自由など

未だ世界に9億人規模のその日暮らしの人たちがいる状況下(ファクトフルネス)、特に発展途上国が優先するのは政治的自由よりも、経済的自由です。

むしろ経済的自由が拡大すれば、政治的自由には目を瞑っても良いと考える人たちが増えているかもしれません。

10年前のアラブの春でも、昨今の東欧諸国の右傾化でも、民主主義=政治的自由に体制変換したからといって経済的自由を享受できるわけではないことを歴史が証明してしまいました。

#日経COMEMO #NIKKEI

政治体制がどんな形であれ、一般庶民がまず望むのは経済的自由です。

中国共産党一党独裁の中国は、鄧小平の巧妙な政策によって、政治的自由を採用しないまま、経済的自由の獲得に成功し、今やアメリカをも脅かす経済大国になりました。

例えばハンガリー人からみれば、民主主義になっても貧乏のまま。

ハンガリー人が「一党独裁で経済的自由を手に入れつつある中国の方が、西欧の民主主義よりよっぽど政治体制として優れている」と思うのは決しておかしなことではないと思います。

これまで、西欧では政治的自由と経済的自由は密接不可分であって、分離することはできないと考えられてきましたが、中国は政治的自由を犠牲にしても経済的自由を享受できる国づくりに見事に成功したと思います。

多分、故リー・クワンユー首相による開発独裁で成功していたシンガポールなどの政策、独裁国家でも資本主義によって経済成長できるという成功事例を参考にしたのかもしれません。

日本含む自由主義体制側は、中国は経済的自由にある程度道筋を作れば、自由主義体制に加わるのでは、という楽観的な見通しも完全にはずされてしまいました。

中国は、共産党指導のもと、徹底した規制緩和による競争環境の導入、外資の積極的な取り込みによる資本とノウハウの習得、党内の苛烈な出世競争による人的資本の最適化・活性化などによって、人民に見事に経済的自由を提供できるに至ったのです。国家の顔を持った世界最大の民間企業みたいなものです。

特に中国人にとって大切なのは、まずは「生きること」であり「お金」であり、「政治的自由」はあるに越したことはありませんが、「生きること」「稼げる環境」が満たされていれば、無理に求めるようなものでもないのかもしれません。

同じ中国人でも、香港人や台湾人とは、だいぶ嗜好が違うのかもしれません。これだけ共産党が強大になってしまえば、人民が「人権がない」といって抗うこともできませんし、意識的に政治には関心を持たないようにしているのでしょう。

先日の米中外相会談で、中国側が「中国には中国の民主主義がある」と言ってたのが象徴的。中国の民主主義とは、政治的には一党独裁による安定した体制を堅持した上で、経済的自由を人民に享受してもらおうという民主主義

春秋戦国時代から、中国大陸で認識されていた儒教の志向する民主主義とは、支配者の君子たる徳をもって民に尽くすという「上から目線」の民主主義であって、西欧の独立した個人の集合体としての個人を主人公にしたボトムアップ型の民主主義ではありません。

老荘思想も「みえざる支配者がいて、その中で人民は原始農民として暮らす」みたいな感じで、主義主張を持った個人の権利がどうこう、という西洋式民主主義ではありません。

そう考えれば、中国共産党は、社会主義に則った政策というよりも、中国の伝統に則った政策を引き継いでいるのかもしれません。

*2021年:皇居、大手門の枝垂れ桜


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