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事業がうまくいっていたときのお話ー強迫、双極症ー闘病記【36】

回復するMさん

前回は霊媒師と契約を結び、「復縁」に向けて動き出したところまで述べました。今回は事業の展開を中心に述べたいと思います。

彼女(以下Mさん)の実家を訪ねてから、少しずつMさんと連絡が取れるようになりました。

前に述べたようにMさんの分も霊媒師と契約をして、Mさんに対しても祈祷を始めたからだと思いました。
とてもうれしかったのですが、何となく自分が悪いことをしているような気もしました。

Uさんとの思い出

私はとにかくMさんを迎えに行けるように事業をがんばりました。

その時は親戚のお兄さん(以下Uさん)に協力をしてもらっていました。Uさんは自分でセレクトショップをしていました。

私は会社に勤めている時から度々訪れていました。Uさんのセレクトした服が好きだったのです。

そして事業を始めるに当たって協力をお願いしたのでした。Uさんはいつも優しく温和な人でした。

そんなUさんとの忘れられない思い出があります。
Uさんは台湾から手袋を仕入れたのですが、全然売れなくて大量の在庫を持っていました。

私はアマゾンで売れば何とかなるかもしれないと説得して、Uさんのアマゾン店で売り始めました。その際に私が売れるためのコツなどを教えました。

すると爆発的に売れて、アマゾンランキングの手袋カテゴリーで一位になりました。一冬で1800個売れました。

会社時代を含めて、私にとって最高のヒット商品でした。Uさんとはそうやって仕事のパートナーとしてやっていくことになりました。

仕事はすれどもうつ状態になる

さてUさんと協力して自分の店を大きくするためにがんばりました。どうやって店を大きくしたかについては具体的には言えないのですが、とにかくやれることはやりました。

それでも病気のことがあるので1日5~6時間程度働き、週に2日は休むことにしていました。

この頃は前にも述べたように週に2日はうつ状態で寝込んでいました。一週間良い状態(うつ状態にならない)で過ごせるということはありませんでした。

週に2日休みを取っていたというよりも、週に2日はうつ状態で寝込んでいたため動けなかったと言った方が正確です。

強迫症

病気のことについても霊媒師に相談していたのですが、「とりあえず今は事業を大きくすることだけ考えましょう。病気は後で必ずよくなりますから」と言われていました。

強迫症がひどく、苦しいことについては何も言われませんでした。

ところで私は事業を始めてから金運を上げるために毎日トイレ掃除をしていました。

しかしトイレでは触るものが多く、強迫行為がたくさん出てしまいます。
何回も同じところを触っていました。

また何回も同じ所の確認行為をしていました。事業がうまくいってきたと言うことで、それを失う不安から、どうしても強迫症はひどくなりました。

毎日闘病しながら事業を展開していました。とても苦しかったですけど物事がうまく行きだしたのでがんばれました。また霊媒師に時間はかかるけれど、病気が治ると言われたことは私の希望でした。

Mさんを呼び寄せるために

しばらくするとMさんは少し元気が出てきたようでした。連絡をしてもちゃんと返ってくるようになりました。

私はそのことだけでも本当にうれしかったです。そして霊媒師に感謝しました。

そして二人でMさんをこちらに呼ぶための戦略を練り始めました。

私はアマゾンで雑貨を売っていたのですが、私のブランドのロゴが決まっていませんでした。そこでロゴをMさんにデザインしてもらうことにしました。

Mさんは美術系の専門学校を出ていたので適任だと思ったのです。
霊媒師にその話をすると賛成してくれました。

そしてMさんに仕事の依頼をするためにMさんの実家へ向かいました。久しぶりに会うMさんは少し元気が出たようでした。まだつらそうなところはありましたが、ずいぶんましになっていました。

そしてロゴの制作を依頼しました。Mさんは自信がないということでしたが、説得してやってもらうことにしました。

また私のところで、デザインの仕事をやってみないかと誘いました。それに対しては自信がないから出来ないということでした。

特に金銭面の心配をしていました。私はMさんが生活できるくらい稼いで一緒にやろうと提案しました。

その時の私はMさんが生活出来るほど稼げるかは半信半疑でしたが、とりあえずがんばってみようと思いました。

売り上げは上がれども病気が足を引っ張る

Mさんにロゴを作ってもらい、自社の製品を幅広く売るようになりました。売り上げはどんどん上がって行きました。

相変わらず仕事の進め方や戦略については霊媒師と相談しながら進めていました。この時は事業の調子が良かったのと、Mさんが回復してきたということで、私としては楽しく過ごすことが出来ました。

しかし病気は全然よくならず、1週間に2日はうつ状態で寝込んでいました。

とてもつらかったのですが、霊媒師の指導に従っていれば病気もよくなるものだと思い込んでいたので耐えることが出来ました。

夢が叶う

順調に店の売り上げが増えて、自分一人分なら食べていけるくらいになりました。

そこで私はMさんを呼んで仕事をしてもらおうと思いました。Mさんの給料を出せるほどではなかったのですが、勢いが大事だと思って誘うことにしたのです。

霊媒師は、まだ早いと思うけれどもやってみたらいいと言いました。

そしてMさんの実家へ書類を持って行きました。書類には今までの私の店の売り上げや利益、Mさんがやる仕事やその売り上げ見込みなどが書いてありました。

Mさんはそれを見て半信半疑ながらやってみようと言ってくれました。私はとてもうれしく思いました。

こうして早くも夢が叶ったのです。
Mさんを迎えて二人で事業を展開することになったのです。

皆喜んでくれました。霊媒師はもちろん、家族も私ががんばった成果が出たのだと言ってくれました。その時の私は、霊媒師のおかげだと思っていました。
一人ではとてもできないことだと思いました。

母親の気遣い

そうしてMさんが私の家の近くに引っ越してくることになりました。
私は母親に手伝ってもらってアパート探しから始めました。

このとき母親はどんな気持ちで手伝ってくれたのでしょうか。
結婚するかどうかも分からない女性のために動いてもらうのは悪い気がしましたが、母親の優しさに甘えていました。

Mさんがやってきた

それからしばらくしてMさんは引っ越してきました。
Mさんは私の住んでいる地域には知り合いなどはおらず不安だったと思います。

そんな中でも私を信頼して出て来てくれたのです。私は事業を大きくして二人とも食べていけるようにしなければならないと強く思いました。

スリッポン

私はMさんにどんな仕事をしてもらおうかと悩みました。

専門学校ではシルバーアクセサリーを作っていたようでしたが、シルバーアクセサリーでは食べていけないとMさんは言いました。

そこで今までデザインしたものをいろいろと見せてもらったのですが、その中で目を引いたのはスリッポンでした。

無地のスリッポンに柄を描くのです。今でこそシューペイントというジャンルが確立され、世間を賑わしていますが、その当時はほとんど誰もやっていませんでした。

私はMさんのスリッポンを見て「これだ」と思いました。それからスリッポン本体の調達から画材まで揃えました。

そしてスタートしたのですが売れるのか全く分かりません。そこで試しに私のアマゾン店で販売を始めました。

反応はあったのですが全然売れませんでした。やっぱり靴は実際に履いてみないとだめだと思い、親戚の店で売り始めました。

ハンドメイドサイト

しばらくしてネットで様々な販路を見つけました。そうこうしているうちにハンドメイドサイトから出品してみないかと誘いを受けました。

ハンドメイドサイトが今ほどメジャーではなかったので、判断に困って霊媒師に聞くことにしました。

霊媒師はやってみた方がいいと言ったのでやることにしました。そうするとそこで爆発的に売れることになりました。

Mさんは元気に

こうして事業はうまく行き始めました。Mさんはスリッポンが売れ始めると元気が出てきました。寝込むようなことはほとんどなくなりました。

精神科にもかかっていたのですが、行かなくてもよくなりました。そのぐらいMさんは調子が良かったのです。

私の病気

一方私の病気はよくなりませんでした。物事がうまくいってもちっとも良くなりませんでした。よくならないどころか悪化していたのです。

前は週に2日うつ状態で寝込むと述べましたが、だんだんとそれより多くなってきたのでした。病気については仕事がうまくいっているということとは関係がありませんでした。

3度目の入院(人生で4度目の入院)

ずっと週に一回医者にはかかっいたのですが、それではどうしようもなくなりました。医者も事業の調子が良いにも関わらず、うつ状態がひどくなることに疑念を抱いていたようです。

そして3回目の入院のお願いをしたのですが、病院の事情で出来ないということでした。

そこで私の家に近いサナトリウムを紹介されました。私が13歳の時に内科の先生に紹介された病院でした。そこでも双極性障害Ⅱ型と診断されました。

この時の入院のことはあまり覚えていません。入院することになった原因は、仕事をがんばりすぎただけだと思っていました。

霊媒師も少し休養が必要なだけと言っていました。

入院中は、さだまさしの小説をずっと読んでいました。Mさんは頻繁にお見舞いに来てくれました。

もちろん母親、父親、姉も来てくれました。

疑念

物事がうまくいっているのにおかしいなあと思っていました。早く戻って事業を再開しなければと焦っていました。

果たしてこの時はうつ状態だったのでしょうか?それとも事業を拡大させて行く様子からは躁状態だったのでしょうか?

混合状態とラピッドサイクラーという概念を使わないと説明できません。
今になって思えばその全体が双極性障害Ⅱ型の症状だったと思います。

この時私は「幸せ」だったのでしょうか?「不幸」のまっただ中だったのでしょうか?それは後になってみないと分からないことでした。

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