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戦国武将に学ぶ!No.31~榊原康政①~



”軍師” こと、株式会社GUNSHIコーポレーションの社本です。


このnoteでは経営者の軍師としての目線で、
これからの時代を生き抜く戦略を発信しています。


私は日ごろより周りの方々から
”軍師” というニックネームで、
お呼びいただいています!(笑)

社名であることもその理由ですが、
私は自他共に認める歴史好き!
とくに戦国時代が好きです。


今回は、私が好きで見習っている、
学んでいる武将や軍師を紹介するシリーズ。


ぜひ最後まで楽しんでいただけたら幸いです。



■「社長の息子」に物申した武将


最近の記事で何度か登場している
「徳川四天王」ですが、
徳川家康を会社の代表取締役社長とすると、
徳川四天王は取締役役員、のような
重要なポジションにいた武将です。


今回もそんな徳川四天王の一人、
榊原康政さかきばらやすまさをピックアップ!
現在の愛知県豊田市出身の武将で、
徳川四天王の中でも文武両道、
オールマイティに活躍した人でした。


そんなオールマイティな康政の
最も優れたところは、
相手が誰であろうとはっきりと
自分の意見を言えるところ
でした。


たとえば、徳川家康には
松平信康まつだいらのぶやすという息子がいます。
彼はよく言えば勇猛でしたが
人に対して粗野なところがあり、
康政はことあるごとに注意していました。


これは、冒頭の会社の例でいうと
社長の息子に役員が注意するのと同じです。


忖度が働いてなかなかはっきり言えない
ことも有り得る状況ですが、
それでもダメなものはダメと
伝え続けたのが康政でした。


ある時、いつものごとく注意を受けた
信康は、現代風にいうと逆ギレして、
康政に向かって弓を構えました。


すると康政は冷静に、
「私の発言はあなたのことを思ってのこと。
そんなことをしては家康様も悲しみ、
あなたのためにはなりません」と
信康を諭しました。


この一件のあと信康の素行は
改善していったともされ、
康政が社長の息子だからといって忖度なく、
先を見据えて自分の意見をはっきりと
伝えることができるリーダーだったことが
窺えます。


■ライバル会社の社長も怒らせた武将


これは有名な話ですが、
康政はなんと、社長の息子だけでなく
ライバル会社の社長も怒らせています(笑)。


その怒らせた相手とは豊臣秀吉。
織田信長亡き後に起こった
小牧・長久手の戦いの時です。


秀吉と家康の唯一の直接対決だった
この戦いは、戦の途中で膠着状態に
陥りました。


早くこの戦を終わらせたいのは
両軍とも同じだったと思いますが、
康政はこの膠着状態を打破するために
一か八か、なんと秀吉をわざと
怒らせることにした
のです!


康政は、戦いの最中に豊臣方の武将たちに
以下の書状(檄文げきぶん)を送り、
秀吉を批判。同意を求めました。

「秀吉は信長公の恩を忘れ、息子信雄に敵対する義なき者」

この檄文を読んだ秀吉は当然激怒し、
「康政を討ち取ったものには恩賞を与える!」
と言い放ったとさえ言われています。


まんまと秀吉を
怒らせることに成功した後は、
いうまでもなく膠着状態から脱却。
戦が展開していったのです。


「首を取ってこい!」
と秀吉を言わせるほどですから、
やはり檄文というのは命に関わるもの。
後に大阪城に家康の使いとして
秀吉の元に出向いた康政は、
檄文のこともあり死を覚悟しました。


しかし、康政と対峙した秀吉は、
康政の知性や家康への忠誠心を知り、
檄文のことは赦して位を上げてやるほど
康政のことを気に入ったようです。
(赦す秀吉の男気も素晴らしい!)


人を認めさせるような
魅力を持っていた康政。


毎度のごとく(笑)、
「どうする家康」での今後の
描かれ方が気になる武将です!!




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