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「デビュー作にして遺作」・・・映画のような人生を送った監督について


小林豊規(とよのり)監督。本名小林一(はじめ)。

初めて出会ったのは、大学の授業だった。
隣に座った彼に、

「家はどこ?」

と聞いて、

「銀座」

と答る彼に、

「銀座って人住めるの?」

と失礼この上ない返事をしたのが最初だった。

「写真を撮るスチールカメラと区別したいから、
僕はムービーのカメラを、キャメラと呼ぶんだ」

というのを聞き、彼の真摯なこだわりを感じた。

その後、中学生の頃から8mmフィルムで映画を撮影し続けている事、
すでに何本も劇映画やドキュメンタリー映画を作っている事を聞くと
単に「面白そうだ」というだけで、この道を選んだ自分が恥ずかしく思えた。

そして、ヌーベルバーグから怪獣映画まで
どのような映画について聞いても、答えられない事は無く、
年間何百本と映画を観ているというその博識にも舌を巻いた。

在学中に後に有名監督となる友人の映画で撮影を担い、
自信を持った彼は、16mmのフィルムカメラを自ら購入し
作品を監督した。

小林監督は私のずっと、前を歩いていたのだ。

就職して数年1990年頃には、コマーシャルの仕事をやっていると聞き、
最先端の映像の仕事をしているな・・・と羨ましく思った。

その後は互いに仕事が忙しくなり、時折同窓会などで連絡を取るだけになっていった。

それからさらに、15年くらい経った頃、2005年になって
私が仕事のキャスティングを取れるようになると、
CMや番組のディレクターとして彼に声を掛けた。
小林く監督は忙しい合間を縫って、CMやTV番組の演出を受けてくれた。
その時の手慣れた仕事ぶり、映像へのこだわりは学生時代から変わらず
逞しく思えた。

当時小林監督の口癖は、

「これ、狙いだから・・・」

だった。
一見、違和感のある映像が、試写すると好評だった。
仕事でも映像で挑戦する姿勢を崩していなかったのだ。

その頃から、公私にわたり話をし、
奥さんが早逝されてからは、電話や飲み会などで
話をすることが増え、面白い映画や面白くない映画について語り合い、
気が付けば夜中になっていることも少なくなかった。

そして、運命の時が来た。

つづく



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