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ナンバー2人物史 豊臣秀吉を天下人にした名補佐役 豊臣秀長

不定期に投稿している「ナンバー2人物史」ですが、今回は秀吉の弟でもあり、豊臣政権を陰で支えた豊臣秀長を取り上げてみます。「有能なナンバー2と言えば?」という会話になるとかなりの確率で名前が上がるのが秀長です。

NHK大河ドラマ「どうする家康」も最終回を迎えてしまいましたが、もちろん秀長も登場していますのでまた密かに秀長人気が再燃しているかもしれません。

秀長の死後、豊臣政権は崩壊していくのですが、「秀長が生きていれば豊臣家の天下は安泰だった・・」という嘆きの声が上がるほど豊臣政権の中枢を担っていた秀長は実力を備えていた秀吉の名補佐役、ナンバー2であったと言われています。

豊臣秀長

豊臣秀吉は誰でも知っているかもしれませんが、弟の秀長を知らないという方も多いと思いますので、先ずは秀長の生い立ちなどから解説していきたいと思います。(秀長は度々名前が変わるので本稿では秀長で統一します)

※豊臣秀長の詳細情報はこちらを参照ください

■生い立ち~兄である秀吉から補佐役を請われ、武士として実績を積む
秀長は農民の家に生まれ、幼少時は小竹(こちく)と呼ばれていました。秀吉とは異父兄弟の関係といわれていますが、諸説あります。兄である秀吉は秀長が幼い頃に家出をし、十年以上の歳月が流れ、織田信長の家臣となり徐々に頭角を現し始めた頃、ある日秀長の元に表れ、自分の家来となり、自分を支えて欲しいと言い出します。

秀吉も足軽の家臣団を率いる立場として、信頼できる補佐役が欲しいと考えて弟の秀長に声をかけたと言われていますが、秀長は農民である自分が武士として兄を支えることができるのだろうかと思いながらも、兄の熱心な説得に心を動かされ、武士になる覚悟を決めます。

とはいえ、やはり農民をしていた者がいきなり武士の仕事に馴染めるはずもなく、はじめは戦場や敵の領地に調略に赴く秀吉の不在を守る仕事をしていました。

秀吉は織田信長の家臣として活躍し、蜂須賀正勝、前野長康、堀尾吉晴ら有能な武将や内政に長けた浅野長政、後世天才軍師と名高い竹中半兵衛らを部下として持つようになります。

秀長は農民出身であるものの、性格は謙虚で温厚、誠実でしたので、兄の優れた部下である彼らと打ち解け、戦の仕方や政治などを学んでいたのではないかと言われています。

一方の秀吉はさらに織田信長家臣団の中で出世し、秀吉が羽柴姓を名乗るようになったのに合わせて秀長も羽柴姓となります。この頃には秀長も秀吉を補佐する立派な武士として活躍しています。

四国征伐

その後、有名な戦では長島一向一揆、明智光秀を討ち取った山崎の戦い、賤ヶ岳の戦いで柴田勝家を破り、家康との小牧・長久手の戦い、秀吉の代わりに総大将として参加して長宗我部元親を討ち取った四国征伐など、武将として多くの戦績を残します。

ご存じの通り、織田信長亡き後、秀吉の天下取りに弾みがついた時期です。強大な権力者となりつつある秀吉を補佐し、時には秀吉に諫言も行い、戦だけでなく、豊臣政権の基盤作りに尽力します。

秀吉が次々と武勲を上げ続けられたのも、自分が戦に出る時には安心して留守を任せられ、領地の管理をし、いざ戦の場面でも武将として頼りになり、決して裏切らない秀長は秀吉にとってこれ以上ない名補佐役だったのでしょう。

秀吉は人たらしと言われるほど、権力者となるまでは寛大に振る舞うことが人心掌握の秘訣であることを理解していたものの、自分がトップに立つと次第に短気でわがまな面が目立つようになってきました。

気難しい秀吉と関わっていくうえで、温厚な秀長にとりなしを依頼して事なきを得た大名も多く、「表立って話せないことは千利休に、政治については秀長に相談するように」という有名な言葉があり、秀長が豊臣政権においてキーパーソンだったことが伺い知れます。

この頃には秀長自身も100万石を超える領地を持った大名の一人となっており、かの有名な太閤検地や刀狩りといった制度の基礎を作ったと言われています。

その後、秀吉の天下統一という大事業も関東・東北を残すだけとなった頃、秀長は床に伏せることが多くなり、参戦できなかった小田原征伐が終わった後に秀長は居城で息を引き取ります。死後、秀長の居城には莫大な量の金銀が蓄えられていたことが判明します。戦や政治には資金が必要ですから豊臣政権維持のために蓄財していたのだと言われています。

秀長亡き後の豊臣政権の没落についてはご存知の方も多いと思いますのでここでは割愛してしまいますが、冒頭の「秀長が生きていれば豊臣家の天下は安泰だった・・」という言葉に全てが集約されているように思います。

■名補佐役、ナンバー2としての秀長のスキル、マインド、人柄

・忠誠心
秀長は豊臣政権という組織のトップである兄秀吉に対して忠実であり、秀吉の良き理解者としてフォロワーシップを発揮し、天下統一という目標達成に向けて全力で協力しました。
戦略的思考
秀長は武将として有能なだけでなく、戦略的な視点から領地や諸大名の管理、さまざまな政治的判断による制度改革を実行しました。
コミュニケーションスキル
戦国の時代にあっても温厚で誠実な人柄であり、諸大名の悩みに寄り添い、高い調整能力を持って、家臣団の団結力を高めました。
問題解決力
政権維持のために多くの困難な状況にも冷静に対処し、柔軟性を持ち、変化に対応する解決策を見つける能力がありました。
リーダーシップスキル
豊臣政権のトップである秀吉を立てつつも、ナンバー2としてーダーシップを発揮し、組織の方針や目標に向かって諸大名を統率しました。
組織の理解
豊臣政権という組織全体を理解し、秀吉のリーダーとしてのビジョンや組織の目標に対して共感し、それを具現化するために行動しました。

■まとめ
秀長の実績に基づいてスキルなども整理してみましたが、組織で成果を出す人の特徴がよく表れていると思います。本文では触れませんでしたが、豊臣政権には黒田官兵衛や石田三成など有能な人物も多々いましたが、総合力では圧倒的に秀長が優れていると感じます。何が違うのかといえば、人の上に立つ資質、これに尽きると思います。

信頼していた部下に裏切られた経験がある方にとっては、有能で信頼できるナンバー2であったことを「秀長は兄弟だから兄である秀吉を決して裏切ることがなかった」と言われればそうした評価もあるかもしれません。

ただ、足利尊氏のように実弟と争った場合などもありますし、中国では時期皇帝である兄を亡き者にして君主となった場合など、兄弟とはいえ権力を争った事例も多いです。現代でも吉田カバンのような有名企業でも事情は異なれど遺産相続で兄弟喧嘩の末に袂を分かち、同業で争っているようなケースも珍しくありません。必ずしも兄弟だから補佐役が務まるということではないのです。

また、忠義を尽くすことができても補佐役として相応の能力が備わっていなければ組織基盤を作ったり、発展させることはできません。

逆に、能力が高く、多くの実績を持っていれば私欲が頭をもたげる人も多いです。あれは自分がやった功績だと吹聴したり、論功行賞が少ないといった不満を抱かずに、兄である秀吉を裏切らなかったのは、ただ単に自分が仕える相手が兄だからという理由だけでなく、人間的な魅力が秀吉にあり、天下統一という偉業に共感を持っていたからではないかと思います。

そのために諸大名、民衆の信望をトップである秀吉に一身に集めることで団結力を高めたのだろうと推測されます。

天下取りは織田信長から豊臣秀吉へ、そして徳川家康に渡っていったという事実は多くの方が知っていても、豊臣秀長という存在がその過程に大きな影響を持っていたことはあまり知られていないのは補佐役、ナンバー2は縁の下の力持ちであり、表舞台には登場しないという宿命のためなのかもしれません。

偉業の陰には有能なナンバー2の存在があるにも関わらず、陰であるがゆえに詳細な記録も多くはありませんからナンバー2のロールモデルを現代で描き出すのは簡単なことではないことも同時に示しています。

今も昔も組織論を考える際に、やはり成果を出す組織というものには秀長のような影に隠れた実力者の存在があり、そうした人材を活かせるトップだけが厳しい競争社会を生き残れるのではないかと考えます。

秀長も元は農民出身です。はじめから武士や政治家として有能であった訳ではないことは生い立ちを見ればわかります。数多くの場面に遭遇し、そのたびに悩み、必要に応じて他人の力を借り、知見を取り入れ、実行するという試行錯誤を繰り返したのだろうと思います。

きっと秀吉とはまた異なる苦悩を抱えながら自らの役割に徹したに違いありませんし、秀吉以上の人心掌握に長けた人物だったのだろうと個人的には感じます。

もし、「頼りになるナンバー2になりそうな人材がいない」と嘆いているのであれば、今一度社内を見渡してみて欲しいなと思います。ダイヤの原石みたいな人材が実は埋もれているかもしれません。

豊臣政権の中にも秀長以外の多くの優れた人材がいたことは歴史で明らかですが、そうした優れた人材をまとめ上げる能力もある特定分野での専門的能力に劣らずに重要な能力です。

つまり、現代であるなら売上を作ることに秀でる、専門性が高いといったことだけでなく、それ以外で自分の組織にとって必要な能力を持った人材とは何かが明らかになれば、そうした能力を持った人材を見つけるハードルは少しだけ下がるのではないかと思います。

人格や考え方 > スキル

スキルは身につけたり、向上させることはできますが、それだけでは人を動かすことはできません。この視点を持つことでナンバー2がいない経営者にとっても秀長のような人材を見つけられる可能性は大きく高まるでしょう。

あとは秀長の生い立ちにあるように、さまざまな経験をさせ、考えさせて、行動させること。組織のトップができることは物足りなくてもこれぞと思う人間には信じ切って任せることではないかと思います。その過程で本当の信頼関係も築かれていきます。

最後までお読みいただきありがとうございます。

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