天正19年(1591)12月28日は秀吉が関白を甥の豊臣秀次に譲り太閤を称した日。この年の秀吉は弟秀長と3歳の実子・鶴松を相次いで亡くしており秀次を後継者にした。秀次は関白として聚楽第で政務を執ることになった。しかし実権は秀吉が持ったままであり2年後に秀頼が生まれることになる。
天正14年(1586)10月27日は家康が大坂城で秀吉に臣従を誓った日。小牧・長久手の戦い後、秀吉は家康を臣従させるため妹朝日を嫁がせ母大政所を人質に送った。大政所が岡崎城に着くと家康も三河を発し大坂へ向かった。この前日に豊臣秀長邸に宿泊すると夜に秀吉が密かに家康を訪ねて現れた。