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【記憶の記録】2人のサンタと洗面器

毎年この時期になると自動的に思い出す。
それなりに色々な事を経験し40半ばを迎えた今尚、ブッちぎりに突き抜けて
他の追随を許さない、
人生の出来事ランキング第一位の座に君臨する強者の名

「ポリニューロパチー」とも呼ばれ
複数の末梢神経が障害される病気。
当時9歳の僕に下された診断名。

多発性神経炎ギランバレー症候群

忘れもしない、いちいち仰々しい名前。
原因ははっきりしないものの風邪や下痢、食中毒症状を起こす
(カンピロバクター)(サイトメガロ)(エプスタイン・バール)
といったウイルスや細菌感染等がきっかけとなる事が多く、
本来は外敵から自分を守る為の免疫のシステムが異常になり、自己の末梢神経を障害してしまう自己免疫疾患。尚、感染はしない。
10万人当たり年間1~2人が発症すると推定され、平均発症年齢は39歳。

症状の種類は多く、程度も人それぞれで、

手足の力が急に入らなくなる
●顔面の筋肉に力が入らない(顔面神経麻痺)
●物が二重に見える(外眼筋麻痺)
●食事がうまく飲み込めない
●ろれつが回らない(球麻痺)
●不整脈
●起立性低血圧
●深部腱反射の消失
●呼吸麻痺

等があり、大きく2つに分類される。

【脱髄型】
有髄神経の髄鞘(ずいしょう)がはがれてしまう
Acute inflammatory demyelinating polyradiculoneuropathy(AIDP)

【軸索障害型】
●運動神経の軸索(じくさく)が障害される
 acute motor axonal neuropathy(AMAN)
●感覚神経の軸索が障害される
 acute motor sensory axonal neuropathy(AMSAN)


肝心の治療法というのはなく、症状は良くなったり悪くなったりせず、ピークを過ぎれば改善する事が多いらしい。

症状の進行は速く、通常4週間前後でピークに達し、以後回復傾向になり6~12ヶ月前後で症状が落ち着く。
しかし、重症例では回復までに長期間を要し、約20%が何らかの障害を残し、約5%は死に至る。


僕の症状は以下の通り。
瞳孔が開いたまま
●物が2重に見える
●眼球があまり動かない
●ふらついて歩行ができない
●膝蓋腱反射がない
●食事をしてもすぐに吐く
●鉛筆で直線や字が書けない

医師側からすると他にも症状はあったのかもしれないが、自覚症状としては、このくらいだっただろうか。

痺れや痛みを感じた記憶はなく、
手足の力は多少入るのに目が動かない(外眼筋麻痺)、ふらついて歩けない(運動失調)といった症状が出るタイプで、亜種であるフィッシャー症候群と呼ばれる症状に類似する。

平衡感覚がなく一日中目が回っており、すべての物が2重に見える世界。

なかなか現実を受け止める事ができず、目を閉じては開け、目を擦りまた目を閉じては開けを繰り返し「次に目を開けた時は物が1つに見えるようになっていますように」と祈る毎日。

それでも変わらぬ視界を避ける為に目を開ける事を恐れ、けれどはっきりとした意識、暗闇なのに目が回る感覚、
気がおかしくなれる程の体力もなく、ただ横になっている毎日。


30年以上前の小さな町の小児科をほぼ制覇したのではないだろうか。
出かける度に病院が変わり、
検査時の機械が大きくなり、
何の病気なのか、
次は何の検査をするのか、
いつ始まりいつ終わるのか、
治るのか、
今度はどこに注射されるのか、
何もわからないまま待合室の母親の膝枕でぐったりしていた。


色々な検査をした中、ある意味「後遺症」と呼んでもいい程の反応をしてしまう原因となった医療行為がある。
今でも注射に対して異常な拒否反応を示してしまう記憶、
当時、幾度となく経験した腰椎穿刺

脳脊髄液を採取する検査で、体を海老のように丸めて横向きになり、背骨の間に針を刺し、脊髄腔(骨髄と硬膜の間の空間)に針を進めて5~10ccの脳脊髄液を採取する。

クソ痛い。もとい、激痛である。

そして、痛さで体が伸びてしまうと針が背骨間に入らず髄液採取が出来ない為、一からやり直す。
なので体を丸めた状態から背中が伸びないように上下半身を数人のスタッフが押さえた上で行われる事が多いと思う(願う)。

「どうすればいい?」
「ここ押さえて」
「もうちょっとこっち」
「いい?」
「ちょっと待って」
という言葉が飛び交う現場の雰囲気の中で
時折聞こえる優しい声、

「大丈夫よ~」の言葉はむしろ、

「由々しき事態です」

という意味としてしか耳に入らない。

「大丈夫なら何でこんな事するん?何でこんなにいっぱい人がおるん?」
と泣きながら訴える僕。

医師、看護師、親、僕、そこにいた全員が、
ガチでマジで本気の舞台。

ちなみにこの腰椎穿刺の後は、
しばらく安静にし、食事は出来ず、
母親が売店で買ってきた小さなパックの飲み物をたまに口に出来る程度で、乾いた涙でパリパリになった目を擦り、
まるで大偉業を成し遂げたかのような達成感を味わい、
「痛かったね、頑張ったね」
と頭をなでる、疲れた母親の顔を見るのが恒例であった。


腰椎穿刺を行った市立病院の紹介で訪れた病院には、ある医大から週一度だけ訪れる医師がいた。
7分の1の確率の出会いを引き寄せ、見知らぬ病院の見知らぬ医師から、今までと同じような質問や検査を受ける。

以外にも早く待合室へと戻り、
クタクタの僕はいつもの膝枕で目を閉じていた。

暗闇で聞こえる両親と看護師の会話。
記憶にあるのは、母親の

「え?今からですか?」

という言葉なのだが、
その意味を、数時間後に訪れる事になる、とある医大に向かう車中でようやく理解する。
道中眠りについていた僕が目を開けると、いつの間にか空は暗くなっており、「家の近所」ではない事を察知する。



通された場所は、ナースステーションの目の前にある部屋。
チューブに繋がれた、僕よりはるかに年下の、恐らく意識がないであろう女の子と、その奥で泣いている男の子。

「ここどこ?遠いとこ?今日はお家に帰れる?」

その言葉を投げかけられた母親の心境は如何程のものだっただろう。


翌日からは怒涛の検査ラッシュ。
頭に何かを無数に張り付けられ動けない。
大きな機械に吸い込まれる恐怖。
足の甲に刺された注射の痛みに驚き看護師を蹴飛ばしてしまった。

あの時の看護師さん、本当にごめんなさい。


天井にぶら下がる紐や壁の模様は相変わらず2重に映る。
真新しいノートの線をなぞる練習。
意思とは違う曲がりくねった線。
床に張られた真っ直ぐに伸びるカラーテープに沿って歩く練習。
意思とは違う泥酔歩行の9歳。
食べた数分後に吐き出す確率10割。

これといった治療をされない事から「治らないのかな」と思い始め、
ただ無言で受け止める絶望の感覚を和らげたのは、
部屋の狭い入り口から見える廊下を、
点滴棒を持って歩く丸坊主の女の子の笑顔と、
声を出す事もなくチューブに繋がれ、懸命に息をする隣の女の子だった。

「女の子だって頑張ってるんだ」

下がり切ったテンションを奮い立たせながらも、
さっき食べた食事をあっさりリバース。
それが毎日の日課でもあった。


思い描いたクリスマスは
はっきり2人に見えるサンタの残像と
「数分前にはおいしそうに輝いていた少しだけ特別な食事」
がリバースされた洗面器を置いて過ぎ去っていった。



交代で来てくれた祖母、日曜日に会える父と兄。そのローテーションにも慣れ始めたある日、
練習ノートに変化が現れる。

僕の直線感覚をあざ笑うかのような見事なまでの蛇行線が、徐々に緩やかな曲線となり、一瞬ではあるがノートにある線に沿って綱渡りをする鉛筆の跡が出現し始めた。

洗面器の登場回数も減り、完全に離れて2つに見えている天井の紐の間隔が心なしか狭くなり、泥酔レベルの歩行能力は千鳥足程度まで変化した。

前述の通り、このギランバレーという病気は、自然治癒の可能性が高く、
この変化はまさに回復期真っ只中であった。


年末年始の雰囲気が皆無の中、それでもしっかり歳は明け、
順調な回復を感じているある日、
誰もいない事を確認した廊下で「小走り」を試みる僕を捕まえ、黙って部屋へと連れ戻す母親。

主治医とは違う、たまに現れる若い医師が立っている。
無精髭のレベルを優に超えた髭面を「アライグマ」と命名していた彼が、

「お家に帰れるよぅ」

と、いつもの無表情で伝える彼の後ろには、大粒の涙を流しながら僕を見つめる母親の姿があった。




いつの頃からか姿を見せなくなった丸坊主の女の子
部屋に戻るといなくなってた隣のベッドの女の子
お腹が空いたと言って泣いてた男の子
いつもアルプスの少女ハイジを一緒に見ていた青いパジャマの男の子
自分の子の事で大変なはずなのにいつも優しく相手をしてくれたママ達
鉛筆削りを貸してくれた看護師さん
注射の時に僕に蹴飛ばされた看護師さん
2人に見えたサンタさん
難しそうな顔で頭を抱えていた地元の小児科のお医者さん
「大丈夫」を連呼していた看護師さん
腰が曲がりヨボヨボなのに高速で洗面器を差し出した祖母
いつもそばにいた母親
横たわる僕を見て、初めて泣く姿を見せた父親
懸命に「兄」を演じた兄
千羽鶴を送ってくれたクラスメイト
思い出せずにいる多くの方々
一応、リストに載せてあげるよアライグマ

あなた達のお陰で、私は今も生きています。
妻の夫であり、2児の父親です。

心から伝えたい

たすけてくれてありがとう

最後に、主治医のK先生、
退院時に2人きりで最後に行った腰椎穿刺は、それまでで一番痛くて、
何度もやり直すあなたに「このぉ、下手くそぉ!」って言ったけど、
許してあげる。

そして

たすけてくれてありがとう







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