リンカーンk2

【めりけんじゃっぷ】第1話 別れの儀式と菓子箱の匂い

脈が速く感じるのは、国際線のやたらと高い天井に広がる絶妙なリバーブのかかった英語の出発案内のせいではなく、
儀式が間近に迫っていたからだ。

ドラマでよく観る場所。

出発ターミナルへ向かう下りのエスカレーター。

ここは、心配という想いしか頭にないはずなのに、
「行ってらっしゃい」という余裕の大人スキルを必死に繰り出そうとしている母親と互いに顔を見合わせ
「行ってきます」と言える最後の場面。

小学生の頃、予防接種の順番が回ってきた時の様な脈拍感覚の中、僕は母親に背を向けたままピースサインを送った。


これから1年間、僕はアメリカの高校生になる訳だが、まず、新学期が始まるまでの数か月は日本人留学生が同じ地域に集まり、
それぞれのホームステイ先で日々過ごし、これから迎える異国での生活をそれなりに送る事が出来るようにする為の所謂、
肩慣らし期間がある。

どんな場所なのか、どんな人達と過ごすのか。

出発前からやり取りをしていたステイ先の家族の手紙は理解できず仕舞い。

一枚の写真だけでその人がどんな人なのかを想像するスキルは、ない。

やっぱり第一声は

nice to meet youなのか。

いや

I'm so glad to see youなのか。

他に何かないかな・・・まぁ、起きてから考えよう。

自覚していなかったド緊張が、離陸後のシートベルト解除ランプが消えたと同時に緩む。

そして気づかぬうちにそばにいた睡魔と戦うスキルも、僕にはなかった。


「うわ、やっと起きたね」

と言う隣の留学仲間の言葉で、よろしく爆睡していた事に気が付く。

目の前には、
「お目覚めですか?食事のご用意が・・・」のメッセージ。

あっさり完食し、おかわりは出来ない事を確認した僕は、隣でしきりに自己紹介をしている男の子の話の途中で、

また寝た。


「トントン」

・・・

「トントン」

・・・?

「ねぇ、ねぇ」

・・・ん?

「もうすぐ着くみたいだよ」

「うん、え?もう?」

期待に胸を膨らませ、想像し、決意を新たに。

なんていうフライトストーリーが僕に降臨する事はなかった。


海外のお菓子が好きな友達からもらった菓子箱を思わせる匂い、すれ違いざまに漂う経験したことのない香水のそれは、
視覚よりも先に自分が異国にいるということを実感させた。

「ついに着いたぜ」

という若さ故の濃厚な感情は、ここから現地まで陸路で2時間ちょっとらしいという説明で、
まるで原液が明らかに足りないカルピスのように薄まっていった。


第2話「懐かしの助手席と思いつきの第一声」


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