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幸せになる方法って、教えられる?

「子どもには幸せになってほしい」

人の親になれば、誰もが願うこと、だと思う。

私だってもちろん、同じことを願ってる。

正確に言えば、子どもには「幸せになる力」を身に付けてほしいかな。

どんな社会になっても、どんな環境に身を置いても、幸せになる力。

たとえ親でも、「幸せ」を子どもにあげることは出来ないから。

そんなことを考えながら、昨日のnoteを書いた。

子どものポテンシャルを信じて、見守ること。

その大前提に立った上で、思うことがある。

「幸せになる方法を、果たして私は子どもに教えられるんだろうか?」

「幸せ」ってなんだろう?

そもそも、「幸せ」ってなんだろう?

人に「幸せになる方法」を教えたいなら、まず「幸せ」という言葉の定義から考えたいと思う。(こういうとこ、真面目な性格なんだよなぁ)

私はね、「幸せ」の定義は、みんな違って、みんないいと思ってる。

「幸せだなぁ」って思う瞬間は人それぞれユニークで、誰もそれを否定出来ない。

まぁでも定義がバラバラだと話を進めにくいので笑、一旦私が思う「幸せ」の定義をお伝えして、前に進みますね。

私が思う幸せの定義は、

「好きなヒト・コト・モノに囲まれて暮らすこと」

これが「幸せ」だと、私は思ってる。

「幸せになる方法」って、教えられる?

「幸せ」について一旦定義したところで、いよいよ本題に入る。

「幸せになる方法」を、どうやって子どもに教えたらいいんだろうか?

「好きなヒト・モノ・コトを見つけなさい」と言えばいいのか?

それじゃあさすがに見つけられないよね。

もう少し噛み砕いて、教えるとしたら…

いや、ちょっと待って。

そもそも私たち親は、本当に「幸せ」なんだろうか?

子どもを授かり、家族に恵まれたことはもちろん幸せなこと。

だけど、本当に心の底から「私って幸せ!」って、胸を張って言える状態なんだろうか?

ここで「ノー」だったら、きっと教えることは出来ないよね。

私の場合は、「半分ノーで半分イエス」。

そうなると、教えてあげることは出来ないな。子どもたちよ、ごめん。

とは言え私は、

「幸せについて教えてあげられない!自分で見つけるんだぞぉー!アディオス!」

みたいな話を、したいわけじゃないんだ。

結論:親が試行錯誤する姿を見せる

さっき、「私が幸せかというと、半分ノーで半分イエス」ということを話した。

その半分ずつという中途半端な状態はなんなのか。

まず、「半分ノー」なのは、今現在が「好きなヒト・コト・モノに囲まれてる状態」ではないって事。

詳しくは割愛するけど、実は好きなヒト・コト・モノを見つけるのって、簡単な話じゃないんだよね。(この話はまたどこかでnoteに書きたい)

とは言え私は少しずつ、好きなヒト・コト・モノに囲まれ始めてる。

だから、「半分イエス」。

色んな経験を経て、今やっと、「私はコレが好きで好きでたまらない!」というのが見え始めているところ。

まさにnoteなんてもう私の「好きなコト」の塊で、好きで好きでたまらない。

これからはそれを、どうやって暮らしに取り入れていくのか。
究極的には、自分の生業にできるのか。

様々なことを考え、試行錯誤しながら、実践するフェーズに来ていると思う。

そうやって、親が自らの人生を幸せにしていく過程を、子どもに見てもらう。

それが何より一番の、「幸せになる方法の教え方」なんじゃないかな。

というのが、今のところの私の結論。

冒頭に紹介したnoteの例えを借りれば、私は私の「ぼうけんのしょ」を必死でプレイする。

私がプレイする姿を子どもに見てもらったり、時にはお互いの「ぼうけんのしょ」の攻略方法をシェアしあったりする。

そうやって子どもも、「幸せになる力」を身に付けていってくれたらいいな。

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