過干渉の母に育てられて

最近「母という呪縛」という本を読んだ。母から浪人生活を9年も強いられていた娘が、母を殺してしまうという実話。

私の家族関係とよく似ていて、辛かった実家暮らし時代が鮮明に蘇ってきたので、ここに書いて昇華させたいと思った。


私の両親は無関心な父×過干渉の母。両親はとにかく自分達のいうことを聞けというばかりで、私が自己主張するのを嫌がり、自己主張すると暴力をふるい黙らせた。

母は自分がいなければ何もできない子でいてほしかったようで、昔から「あなたは何もできないんだから」と呪いをかけた。言うことを聞いていれば叩かれないし怒られないし・・そうして私は全く自己主張しない、物静かで無気力な人間になった。


進路も「お金をだすのは私たちなのよ?」と言って両親が決めた。

私が唯一自分の意思を貫いたのは実家を出て一人で暮らすことだった。あの家で暮らしていたら本当におかしくなってしまうと思い、必死で就職活動をした。就職活動は本当に地獄で「君なにも話さないね。君みたいな人どこいっても無理だよ。」と言われて泣きながら帰ったこともあったけど、それでも実家からは脱出したいという思いが強くなんとか就職先を決めた。

就職先が決まったことを話した時、「なんで就職するんだ!!」と怒鳴り散らされたのは今でもよく覚えている。会社に就職して怒られるってどうなっているのか、たぶん両親に対して決定的に気持ちが離れたのはこの時だったと思う。

誕生日も入学も卒業も祝ってくれなくても平気だったけど、この時ばかりは褒めてほしかったのだ。不採用通知がくるたびに社会に必要ないと言われているようで辛かった就職活動、一言がんばったねとねぎらいの言葉があってもいいじゃないか。


働き始めてからも両親から嫌がらせのようなことは続き、その度に私は病んだ。それに加えてうまくいかない社会生活、貧乏暮らし、追い込まれても相談できる人がおらず苦しい状況だったが、皮肉なことに実家にだけは絶対に帰りたくないという気持ちが私を突き動かしなんとか仕事に就いて働き続けて今に至る。


色々な経験をした今となっても、両親と仲良くしようとは到底思えない。私はまだ母からの呪いにかかりつづけている。


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