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映画『みとりし』を観て綴る、わたしの死生観。



 唐突ですが、 ”看取り士” をご存知でしょうか。


 最期の旅立ち、家族とともに、そしてもしかしたら一人で逝く時、住み慣れた家、希望する場所で残された時間を過ごすため、心を寄せ手助けをしてくれる人、それが「看取り士」である。
 医療行為はできないけれども、第三者であるが故に本人そして家族たちの不安や心配を受け止め、静かに温かく傍にいてくれる存在として、「死」を迎えるそれぞれを助けてくれる。旅立つ人の思いや愛を受けとめ、見送る人に受け渡し、納棺前までの最期に寄り添い、命のバトンをつないでいく。



 昔から、読書も映画も好きでしたが、年齢を重ねるにつれて、人間や生き物が簡単に殺されていく映画や本が、いつしか苦手になりました。トリックや謎について考えるのがおもしろくて、10代の頃夢中になって読み耽っていたミステリー小説でさえ、命の尊厳に少しでも触れた瞬間から、たとえ作り話とはいえ、盛り上げるために殺されていく命が描かれる作品には、手を伸ばさなくなりました。


 わたしにはとてもお世話になっている先生がいます。その方は看取り士の資格を持っていらっしゃって、映画【みとりし】を教えてくださり、幸運にも拝見させていただくことができました。この映画は、看取り士を通して臨終を、人の死生を描いた作品。バタバタと簡単に人が殺されていくような作品はもう観ることができませんが、きっと泣くだろうとわかっていても、この映画は観なければならないとなぜだか思いました。この世に生を受け生きる中で、どこかしらのタイミングで【死】について考えることは、この生を全うする上で非常に大切なことであると、わたしは心から思っています。


 映画のあらすじをHPより引用させていただき、下記にご紹介いたします。


■あらすじ

 交通事故で娘を亡くした58才の柴久生。喪失感の中で日々を過ごしていた彼が初めて知った“看取り士”という存在。誰にでも訪れる最期の日々を支えるというこの仕事をセカンドライフに選んだ柴の、「死」に穏やかに向き合う日々がはじまる。


■人生の最期、どこで旅立ちたいですか?大切な人の最期、どのように送りたいですか?

 誰にでも必ず訪れる最期の時。旅立つ人、そして送る人、それぞれの想いが走馬灯のように駆け巡る。その時、どのように旅立ち、 どのように送るのか、予想することは難しい。それでも、「こうしたい」という思いは誰にもあるのではないだろうか? その希望は、 家族、パートナー、友人でも十分に理解し実行することは難しいことかもしれない。そんな希望を少しでも叶えるために近くでサポートしてくれる人が存在するならば、その役割を知ることは、人生の最期を豊かにしてくれるかもしれない。
 高齢化社会になり、そして人間関係が希薄になった今だからこそ、「如何に死の瞬間を迎えるのか?」ということを考えなければならない現代。『おくりびと』(08)は、亡き人を悼み送る納棺士の物語、『エンディングノート』(11)は、旅立つ者の終活、そして残される家族へのメッセージを伝える物語だった。本作『みとりし』は、旅立つ者と送る者の最期の時間を温かく支える人々の物語である。


■日本看取り士会 会長 柴田久美子さんの言葉

 私たちの夢は、「全ての人が最期、愛されていると感じて旅立てる社会創り」です。誰もが皆、幸せな尊厳のある旅立ちができるように、この映画を通して、日本全国にその想いをお伝えできれば嬉しいです。


 (スマホでもPCでも確認しましたが、途中、音声がありません。後半、復活します。再生するときは音量にお氣をつけください。)

 この映画を観て、やはり死生について考えること、語ることは必要なことだと改めて感じました。死そのものへの恐怖を植え付けるものが、悪意の有無に関わらずそこらじゅうに存在しますが、よくよく見つめてみればこわいものではないと、わたしは自身の経験から思っています。


 この先は、わたし個人の死生観について、経験を踏まえながら書いていきます。もし、この先をお読みいただけるのであれば、ご留意いただきたいことがあります。


 これからここに書くことは、わたしの実体験であり、偽りは一切ありませんが、人によっては信じられないことでしょうし、信じたくないことかもしれません。あるいは、共感してもらえることかもしれませんし、似たような経験をされたことがある人もいるでしょう。いずれにせよ、誰に対しても語れることではないと思い、多くは語ってこなかったことの一つですが、この映画をきっかけに『書かなくちゃ』と何かに駆り立てられているということは誰かの思し召しとか、そういうことなのかなと思ったので、あまり考えずにキーボードを叩いている次第です。


 ここに書くことに関して、さまざまなご意見があると思いますが、わたしは誰かと議論をする意思はありません。信じられない方はスルーしてくださって構いません。正しさは人それぞれ。受け入れられない方は、『世の中にはこんな変わった人もいるのね』くらいに思ってくだされば結構です。










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 何度かいろんなところで書いているけれど、数年前に父親を看取りました。最後の2週間は精神的にも体力的にも本当にきつくて、ここでは書ききれないほどいろんなことがあったのだけれど、結果的に家族全員で看取れたことは本当に奇跡だったと思いますし、今でも感謝しています。


 父の死の前後、わたしが学んだことは大きく二つあって、そのうちの一つが、これからここに記していくことです。


 父亡き後、父の闘病を支え続けた母の疲労困憊たるや、見てはいられませんでした。日常生活に支障をきたしたわけではありませんので、他人にはわからなかったかもしれませんが、精神的なダメージは、娘には手に取るようにわかりました。なるべく実家に足を運び、母と共に過ごす時間をとったけれども、ふとした時にすすり泣く声が聴こえてくると、伝播する悲しみにこちらまで心臓が掴まれ、苦しかったのを今でも覚えています。未だに整理されない遺品の数々が母の部屋にはたくさんあって、父のものというよりは母のもの、という感じで今や部屋に馴染んでしまっていて、まあ、それで母が安心ならば、それでもいいかと、もうずっと前に諦め、受け入れています。


 父が亡くなって一年が経っても塞ぎ込んでいた母を皆が心配していた、ある日のことでした。


 自宅で布団に横になって目を閉じていると、ふと、何かが見えたような氣がしました。目を閉じていても開いていても、光が現れることは普段からよくあることなので、そういう意味では氣になりませんが、明らかに ”何か” を感じることは滅多にないため、氣になって、ただその ”何か” を見るのではなく、感じようとしていました。


 しばらくして、”像” だと直感しました。何かはわからないけれど、たとえば仏像だとか、何かを何かで形どった、あの ”像” です。


 ”像がある” とわかった瞬間、その像は、”マリア様” の輪郭を持ち、目の前に現れました。わたしはマリア様の像を、実際には見たことがありません。教会は見たことがありますし、建築物として興味もありますが、キリスト教徒というわけでもありませんし、教会へ足を運んだことはないのです。しかしなぜだかそのマリア像を、懐かしい氣持ちを持って、 "知っている" のです。


 マリア様だと認知すると今度は、ぼんやりと、周辺の景色がだんだん見えてきました。それはさながら、霧が晴れていくかのように、そこにあったものが見えていきました。


 わたしは、教会にいました。布団に横たわるわたしの体を認知しながら、しかし、わたしはその瞬間、自室ではなく、確かに教会にいました。


 左手に、小さな白い花をたくさんつけた、カスミソウのような花を一輪だけ握りしめ、数メートル先のマリア像と対峙していました。そして、一氣に感情が流れ込んできたのです。


 『また独りになってしまった』と。


 わたしは無表情に、静かに、涙を零す女の子になって、立ち尽くしていました。


 この子は誰だろうと疑問に思うことは、不思議とありませんでした。この女の子は紛れもなく、過去に生きたワタシでした。


 不思議なことに、次から次へと、いろいろなことを鮮明に思い出しました。


 ここへ来る道すがら、不本意ながら花を摘んだこと。早く確かめたいけれど、確かめたくないという矛盾した氣持ちで、この教会を目指して丘を歩いて来たこと。ワタシは教会で育てられた孤児で、教会を出て、町で住み込みで働いている。すると育ての親である牧師が亡くなったと聞かされる。嘘だ!と思う自分を他所に、周りの大人たちは教会へ行けと言う。嘘であってほしい。でも頭ではわかっている。だから、不本意だけれど、きっと手向けることになるからと、花を摘んだ―。


 教会の扉を開けるとひんやりとした空氣が肌に触れた。湿り氣も埃っぽさも同時に感じた。慣れ親しんだ小さな教会に、しばらく人の往来がないことを悟った。死んだのだ。牧師は死んだのだ。育ての親は、ワタシに知らせることなく、一人で死んだ。唯一の心の拠り所。帰る場所があるという、安心感。それが永遠に失われたことを悟った瞬間の悲しみが一氣に溢れ出て、ワタシも、わたしも、泣いていた。


 丘の上にある小さな村の貧しい教会でワタシを育ててくれたのは、わたしの亡き父だった。そうだ。あの人は、前にもワタシを育ててくれていたじゃないか!あの時のお礼を言えないまま生き別れた後悔がワタシにはあったのだ。今世もまた、とんでもないお役割を担ってくれていたのだ。今度は父親として、もっと近い存在として、育ててくれていたんじゃないか―。 







 わたしとワタシは何の違和感もなく共存していて、互いのことを理解していました。わたしとワタシは、ひとつでした。わたしの、思い出したことへの喜び。ワタシの、思い出してくれたことへの喜び。これらの喜びがこの体に、同時に溢れました。『悲しかったね、つらかったね』と、わたしからは深遠なる親しみと愛を携え寄り添う氣持ちが沸き起こり、『悲しかったの、とてもつらかったのよ』と、ワタシがやっと苦しみを吐露できて癒され、安堵する氣持ちも、同時に起こりました。いつの間にか、わたしは、ワタシの隣にいて、ふたり並んで、涙を流していたのでした。


 わたしは、隣のワタシを抱きしめました。『嗚呼、もう大丈夫だよ』。そんな氣持ちでした。何が大丈夫だったのかなんて、その時はわかりませんでしたが、その時は確かにそんな氣持ちだったのです。ワタシと目が合って、彼女は涙を流しながらも、微笑んでくれました。


 次の瞬間には教会がまた、霧に隠されるように消えていって、わたしは目を開けました。


 目を開けると、いつもと変わらない、自室の光景がありました。しかし、なんだかいろんなものが変わってしまった。そんな体験をしたことを、耳まで伝っていた涙を拭いながら、悟ったのでした。







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 あれは、紛れもなくわたしの ”記憶” でした。わたしの ”魂の記憶” と言えるものだったと思います。思い返してみても、なんだか不思議な出来事だったし、信じてもらえないだろうと思うし、しかしそれでもいいと思っています。わたしは、ワタシに逢えたことが、今でも嬉しいのです。

 朝、目が醒める直前に見ていた夢は、打ち寄せた波がひいていくかのように急速に、どこかへ連れ去られるものですが、この経験は、それとはまったく別の性質のものでした。これは、刻一刻と時が経つごとに忘れていく、夢ではない。夢は、映画のようにストーリーに沿って流れていくものですが、それとも異なりました。”夢を見ていた” のではなく、”思い出した” 感覚が非常に近かったのです。はっきりと、肌に触れる温度も、湿り氣も埃っぽさも、頬を伝う涙の感触でさえ、まるで昨日のことのように生々しく再現されてしまった、記憶だったのだと思いました。


 ヒプノセラピーの存在は知っていましたが、きっとそれに近い体験か、まさにその体験をしたのだと思います。正直、戸惑う自分もいました。夢だったのではないかと、一瞬であれ、思いました。しかし、どうやってもこの身に起こったことを、否定できないのです。実際のその時代にワタシが生きていた証拠はありません。今ここに生きているわたしとワタシが、何かしらの理由で同一の存在であるという証明もできません。探ったこともありませんし、途方もなさすぎてしようとも思いません。

 ”輪廻” 、”生まれ変わり” という言葉は、なんとなく、『あるんだろうな』と思っていた程度でした。しかしワタシとの邂逅によって、もはや信じるとか信じないという次元ではなくなりました。





 わたしはその存在を ”知って” しまいました。





 以降、必要なときに、いくつかの過去生と出逢うことになりました。






 生まれ変わる。人は、何度でも。そう、だから、こわくない。【死】そのものは。それよりも、わざわざ選んで生まれてきた ”わたし” を、そしてこの人生を、全うできないことのほうが、よっぽどこわい。






 ワタシとの邂逅で、こう思うようになりました。





 そして、この出来事は、母に伝えなければと思いました。













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 わたしの父は、本当に素行がよろしくなくて、家族に散々迷惑をかけた人でした。あの人の子であることを心から恥じていたわたしは、幼いころから、よく手のひらを見つめては、『あの人の血が、この体にも流れているのか…』と思うと、嫌悪感に殺されそうになるほどに、父を恨み、嫌っていました。


 (これもすべて、生まれる前にわたしが選んだことであり、もう一つ別の、大きな学びのために、父がそうしていてくれたんだと今はちゃんとわかっていて、わたしにとっては最高の父親だったのですが、当時はそんなことわからなくて、30年間大嫌いでした(苦笑))


 わたしも、きょうだいも、そうやって父を疎ましく思い、生きてきました。しかし母は、紆余曲折ありながらも、結局は父のことを放ってはおけず、愛していたのです。これも深い縁だったのだと今だからわかりますが、父もまた、家族のことを愛しているのかと疑うような行動を日夜繰り返しながらも、母のことだけは、いざという時には守ろうとする素振りを見せる人で、そこがまたわたしたちには矛盾に映り、よくわからない、不可思議な夫婦でした。


 30年、父の破天荒には本当に迷惑を被ったわたしでしたが、亡くなる直前に、ある出来事がきっかけで親子に生まれた意味がやっとわかり、すべてを赦したわたしの変化を、母は知りませんでした。母は、子どもに恨まれたまま亡くなった旦那を不憫に思い、また、自分を責めていました。『もっと私がしっかりしていれば』と、後悔し、『もう一度会いたい』と、願っていたのです。


 ある夜、意を決して実家を訪ねました。その日は、母以外は出かけていて誰もいなかったため、ともすると怪しいこんな話をするにはチャンスだと思ったからでした。訪ねると、一人ということもあってか、しんみりしている母が出迎えてくれました。実際、仏壇の前で少し泣きながら、お茶を飲んでいたようでした。どう切り出そうか悩みましたが、父のことをもう恨んでいないこと、赦していること、感謝していることを伝え、一連の出来事を詳細に語りました。





 『わたしは前にも、お父さんに育ててもらっていたの。「こうやって、何度でもまた逢えるんだよ、体はもうどこにもないけど、魂は死なないんだよ、また逢えるからって、お母さんに伝えてくれ」って、お父さんに言われたから、こんな経験したんだと思う』





 そう伝えると、母はただ、黙って頷いて、ただただ、泣き、最後に『伝えてくれてありがとう』と、言ってくれました。



 こんな話を黙って受け入れて、また感謝までしてくれる母を選んで生まれてきて、本当によかったと思いました。『救われた』と後になって母が言ってくれたことが、何より嬉しかった。この話ができたから、母は今でも、わたしの良き理解者でいてくれて、応援してくれています。本当に、父には、そして過去のワタシには、感謝しかありません。








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 まずはゴールを決めなさい。そうすれば逆算して、今するべきことがわかるから』


 こんなことを、目上の人から言われたことはないでしょうか。親に勉強しなさいと言われた時。あるいは社会人になった時に。


 まったく同じことなのに、このゴールが【死】になると、途端に他人事のように振る舞ってしまうのは、人の性かもしれません。


 以前別の記事でも少し書きましたが、『死って何?どんなふうに死にたい?』と考えることは、真逆の場所にあるように思える ”生きる” ということを真剣に考えるきっかけになります。そして、その【死】をどのように捉えるかがとても重要なのですが、わたしは、先述したとおりで、【死】をこわがる必要はない、ということを伝えたいです。


 いつか訪れるそのときのために、今を懸命に生きようと覚悟をするには、【死】を意識することを、避けて通れないんじゃないかと思います。誰にでも必ず訪れる【死】を、一度でもいいです、真剣に考えてみてください。意識してみてください。命のありがたさに氣づき、その奇跡に畏れを憶えると思います。一秒たりとも無駄にできないという想いに、駆られるかもしれません。次の瞬間から、行動が変わるかもしれません。


 【死】に直面した経験がある人の価値観や言葉は重みが違います。何人か、そんな人のお話を伺ったことがあって、そう思います。【死】に直面したことのない人と比べてはいけませんが、命に対する考え方が、真剣さが、圧倒的に違うと思うのです。そんな危ない経験を、皆がする必要はまったくないのですが、考えてみることは誰にでもできると思うのです。しかしそうは言っても、生死に関わる強烈な出来事でもない限り、平常心で【死】を真剣に考えられる人なんて、多くはないでしょう。わたしとて、ワタシとの邂逅がなければ、できなかったかもしれません。

 看取りを考えたこと、経験したことのある人がどれくらいいるのかわかりませんが、わたしは経験したことがある人間のひとりとして、父を看取れたことは、今では本当によかったと思っています。


 自分が【死】に直面するとき、どんなふうに送ってもらいたいですか。住み慣れた自宅がいいですか。明るい部屋がいいですか。音楽を聴いていたいですか。大好きなものに囲まれていたいですか。家族に見守ってもらいたいですか。手を握っていてもらいたいですか。


 わたしは、

 めっちゃ楽しかったーーー!!!
 わたしの人生最高だった!!!
 ありがとうーーー!!!
 (うぇーーーい!!!)


 と、思いながら死ぬ!!と公言しています(笑)


 死ぬときの心の在り方はこれでよいと思っているのですが、しかしこの映画を観て、もうちょっと細かく考えるようになりました。


 この体を抜け出す日が来たら、わたしはこの映画のように、抱きしめてもらいながら、還りたいです。わたしという命が生きた証を、このエネルギーを、ちゃんと受け取ってくれる、愛する誰かに包まれながら、還りたいです。『悲しいかもしれないけれど、大丈夫、大丈夫。なるべく笑っててよ、ちゃんとまた、逢えるんだから』と、伝えながら、還っていきたいな。今はそんなふうに思っています。


 わたしは死ぬことなんかより、大好きな人に大好きだと伝えられないことのほうが恐ろしいです。いつか必ず、言えなくなります。だから好きなものは好きというし、ありがとうもごめんなさいも愛してるも、思ったときにすぐ言う。


 ご縁をいただいた人たちに、愛を贈れないほうが恐ろしい。せっかく地球で出逢えたんだもん、奪い合うのではなくて、与え合いたい。


 何で生まれてきたのかを思い出せないまま死ぬことのほうが、恐ろしい。使命天命を全うできないことのほうが恐ろしい。宇宙との約束を破ってなんて、還れない。



 だから、今、今、今、今、今、今、今を、ただただちゃんと、ひたむきに、やるべきことをやって、愛を贈って、生きるのです。



 【死】を考えることは、【生き方】を考えること。



 老若男女問わず、難しいテーマかもしれないけれど、”看取り” を考えることが、何かのヒントになるかもしれません。わたしのポリシーとして、観た映画、読んだ本の感想は、基本的に書かないことにしています。人それぞれの感性で、誰かの感想抜きで、楽しむべきだと思うからです。だから、おすすめかのポイントとか、印象に残ったこととか、詳細は書きません。


 でも、これだけは書かせてください。






 涙と『ありがとう』が、自然と零れてしまう、やさしい映画でした。








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 ※宗教によっては輪廻を認めていないものもあるかと思います。わたしはそれはそれで、良いと思っています。


 ※念のため書いておきますが、わたしはどの宗教団体も、それに類する団体も、支持しておりません。何か一つのものだけを狂信的に追いかけたり、陶酔することや、これだけが正解であると教える人、またはそういった偏った思考の人が作ったものに対しては懐疑的です。ここに書いたことは、わたし個人の体験、考え方、価値観であり、誰かと議論をしたくて書いたのではありません。

 ※本記事における引用については、すべて一般社団法人日本看取り士会HPよりお借りいたしております。




 すべての命は素晴らしい。生まれてきた命が尊いならば、還っていく命もまた、尊いはず。この映画に出逢えたこと、そして看取り士さんたちに、感謝を込めて。


 今日も、元氣で、無事で、穏やかに、過ごされてください。長文、お読みくださり、ありがとうございました。


hana


今日もありがとうございます♡


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