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わたしは「書くこと」と生きていく。

「かく」ということと一緒に、私のこれまでの人生は作られていた。そんな気がする。

「かく」は、「書く」であり「描く」

どっちも好きなんだけど、
ここでは特に「書く」ことについて書いていく




幼稚園、小学校、中学校、高校、大学、社会人、産前産後、そして今。

つらいときも、しんどいときも、落ち込んでるときも、何かを夢中で書いているとき、私はその世界にいくらだって入っていられた。

それは、マンガでも、イラストでも、発表の資料でも、講義のレジュメでも、論文でも、弁論文でも、感想文でも、小説でも、短歌でも、エッセイでも日記でもグラレコでもなんでもいい。

それら全部を私は通ってきていた。ありとあらゆるものを「かいて」きたのだと、今更気づいた。



「かく」ことに没頭しているときって、なんであんなに気持ちがいいのだろう。

「これじゃない!」ってとき、なんでこんなにモヤモヤして苦しくなるんだろう。

これじゃない!を突き破って私の中から生まれたものは、どうしてあんなに愛おしんだろう。



「俺は猪狩の書いた文章、好きだよ」

自由にのびのび書いたものを認めてもらえたときの喜び。

「正解はなんだろう」とか、「大人はこう言うのが好きなんでしょ?」とか、今時だったら「こういうのならスキがたくさんつくかな?」とかかな?
そういう計算なしに、「私はこの文章好きだな」っていう文章を生み出して

それが、大事な人、尊敬する人、憧れの人にを好きだよ」って言ってもらえる喜び。

そんな「喜び」が積み重なって、いまの私は、今こうしてnoteを書いているんだと思う。



……そこまでアレコレ思考を深掘りしていってみて、ようやくわかった。

私は「かく」ことを、手放してはいけない。

いいとか、悪いとか、うまいとか、下手とか、そういうのはとりあえず置いといていい。私は、「かく」ことを捨ててはいけない。

人前で話すのは苦手…と常々公言している私だが、よく思い出せば、小さい頃は人前でなにかするのが好きだった。
発表なんて一番好きな分野で、調べたことを資料にまとめて説明するのなんて「待ってました!」と手を挙げた。

そうね、そんな私だから、口下手ながらも教員として教壇に立ててるんだな…と、これまた、今更気づくなど。



今立ってる場所とか、想いとか願いとか考えが、この先振り返ったときどんな道になっているのか。今の私にはわからないけれど。

教員への道がそうであったように、「ああ、あれはこの道に続いていたんだな」って

ふと振り返ったとき、未来の私が意味を見つけてくれるんじゃないかな。



……そんなことを、前田高志さん「勝てるデザイン」についてきた「自分年表」を書いて、考えました。


今までただなんとなく、「書きたくなった〜書くか〜」みたいなノリで好きにかいてきたけど

「かく」って、自分のなかの大事な要素なんだなーって思い知りました。

決めた、決めたよ。
私は、「書くこと」とともに、生きていく。




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