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深酒憎んで酒を憎まず

 深酒をした。
 溜息交じりに起き上がり、ポットに残っていた白湯を飲んだらぬるかった。ぬるま湯が、違和感とともに私の口の中に広がる。

 常温やぬるめの日本酒は、違和感なく美味しく飲めるのに、常温やぬるい水を飲むと、何だかやるせない気持ちになる。ビールは2リットル飲めるのに、なぜ水を2リットル飲むのは大変なのだろう。同じ飲むことに変わりないのに、不思議である。

 私の父は、深酒をしては母を困らせていた。酒臭さを部屋に充満させながら爆睡する父を見て、
「私は将来、大人になっても絶対お酒は飲まない!」
 子供ながらに、そう誓ったものだ。母を苦悩させる、父を、酒を、私は憎んでいた。

 それなのに、成人した私は、いつの間にやら、酒飲みになっていた。
 母からは、
「そんな子に育てた覚えはない」
 と嘆かれ、祖母からは、
「太宰なんか読むからだ」
 と文豪の名前を持ち出してなじられた。
「酒飲みなのはお父さんの血筋だ」
 二人とも、渋い顔をしてそう言った。

 母と祖母の心配をよそに、私は、ビール、ウイスキー、ワインに日本酒と、どんどん飲めるようになってしまった。
 血筋とは本当に恐ろしいものである。

 十数年前、母が大手術をし、ひと月ほど入院したことがある。退院し、連日の病院通いから解放され、少し気が抜けたのだろう。夫が夜勤でいない夜、買い置きしてあった焼酎の一升瓶が目につき、開封してしまった。母のケアを頑張った自分へのご褒美、というよりも、やや心労があったので、それを酒で流したかったのだ。悪い酒というのは、ついつい量が増える。

 気が付けば、一升瓶の半分以上が蒸発するように無くなっていた。
「やだ、誰がこんなに飲んだの? あ・た・し」
 焼酎の一升瓶を抱え、一人そんな問答をしながら、ひひひ、と笑う。はたから見たら、ただの化け物だ。化け物になった私は、そのまま受話器を取り、電話をかけた。

「飲んでるのね」
 母が言った。素面しらふを装っていたが、やはり何か様子がおかしかったのだろう。母から少々、小言を食らった。このとき、
「くわばらくわばら」
 とでも言って、電話を切るべきだったのだ。
 話し続けるうちに、私はなぜか、母に涙ながらに感謝を述べはじめ、素面の母がそれに感動して号泣するという、末恐ろしい事態になった。
 酒とは本当に恐ろしいものである。

 翌日になり、母に電話をした記憶がありありとよみがえってくる。感謝の気持ちに嘘はなかったものの、馬鹿みたいに泣いたことへの恥の気持ちが、何より強かった。このとき、つくづく、

 嗚呼、お酒をやめたい…

 そう思ったものだ。

 しかし、思ってもやめないのが呑兵衛である。
 きっと父も、酒さえやめればと、幾度となく思っていたことだろう。私も、酒さえやめればもう少し、いろいろとマシだったのではないか。そんなことを思う。

 私には高校時代からの友人がいるのだが、私は彼女に今まで何度も、
「もう、お酒やめるよ」
 と言った。最初は、
「あ、そうなの」
 そう取り合ってくれたものの、そのうち、
「前にも聞いたよ、それ」
 と苦笑されるようになってしまった。

 私は酒の残った体を引きずるように台所に向かうと、ポットに入ったぬるま湯を捨てて、新たに白湯を作った。
 深酒の後には白湯がいい。グラグラと煮立たせてつくる白湯を飲むと、身体に残った酒の気配を薄めてくれる気がする。
 やや二日酔いの頭が痛むが、酒に罪はない。飲み過ぎた自分が悪いのだ。

 深酒憎んで酒を憎まず。

 そう思いつつ、白湯の入ったポットとマグカップを抱えて、私はパソコンデスクの前に座った。ちびちび白湯をすすりながら、モニタに映る文字を追っていると、

「みなさんはこれから卒業したいものはありますか?」

 そんな一文いちぶんが目に飛び込んできた。私は、間髪入れずに、

「酒」

 と答え、空になったマグカップに、もう一杯、白湯を注いだ。

 

 

 




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