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大人の恋愛哲学からみる幸せに生きるコツ


先日、こんな記事を書きました。

今まで一目惚れだけで多くの恋をしてきた私が、結婚して子供を産み、気づけば顔で人を好きにならなくなった、中身までじっくりしらなきゃ恋できなくなった…。今、そんな風にどっぷり中身を知り、好きになるほどの相手なんてできない…つまりは恋というものをしなくなったという話です。不倫の話とかじゃないです。恋すらできないので。笑


私は恋愛というか、恋をすることが大好きで、その延長?手前?のような感じで芸能人やアスリートを推すことも大好きだったんです。でも大人になった今、その推すことさえ同じ理由でできなくなりました。
中身まで見えないから、なんだか常に頭の中に置いておけないというか、忘れてしまうんです。応援してるはずなのに、大好きなはずなのに、特別な人のはずなのに!!!
きっと私の哲学では、恋する相手や推しの相手は四六時中頭の中にいて片時も離れたくない人みたいなイメージがあるのでしょう。

そんな私は、ここ最近一番推していた俳優の田中圭さんにどっぷりハマり込み、沼に片足突っ込んだなぁみたいな感覚があったのですが、その時に申し込んだイベントが迫っているのにあの頃のようなトキメキが全然ない…と絶望していました。

そして今、イベントから二夜明けて。

心境の変化と新たに判明したことを書きたいと思います。これはただの私のミーハー話ではなく、大人の恋愛哲学や幸福論、人生哲学の領域かなと思うのでよかったら読んでみてください。


先ほどの記事を書いたすぐ後からまた恋できない理由について考えていました。
その記事で恋できなくなった理由を、
①中身まで深く知れないから
②恋したいだけで本当に好きじゃないから
③最強の旦那と比較して劣るから
としていたのですが、本当に理由はそれだけなのか?

そして、私は言語化したくない気持ちがあることに気がつきました。noteでは書きたくなかったのでしょう、でも今は昇華できたので書きます。

それはズバリ、現実感です。
芸能人やアスリートなんて、まず非現実的。若い頃は芸能人やアスリートとも本気で付き合えると思って全国どこまでも追いかけてアプローチしてたんです。(痛い笑)まぁでも実際旦那はアスリートだったので実現したわけですが、他のアスリートや芸能人ともそれで仲良くなったことあります。そういう関係には至らなかったけど、よく飲みに行ったり。
けれど、そもそもめちゃくちゃ一流アスリートとか今をときめく最前線の芸能人を好きにすらならなかったんです。現実感ないから。めちゃくちゃ失礼ですが、こんな私でも頑張れば認知してもらえそう、そんな人以外は全く興味がなかった。ファッションとかでも流行り物よりも本当にいいものとかスタンダードなもの、ニッチなデザインとかが好きなので、まぁそれは好みやタイプだったのというのも大きいのですが、無意識的に頑張ればチャンスがあるという人しか対象じゃありませんでした。
それはキャリアとも繋がっていて、ずっと私は周りからチャレンジングだと言われてきました。高校生から夢を掲げ、大学でもそれを追いかけて色んなところに足を運び、社会人になって一番いい時にその職を捨てて夢だった仕事に就いて。
すごい!いつもチャレンジしてる!頑張ってる!
そんなふうに言われてきましたが、これらも全部私のイメージの中で頑張ったら出来そうなことだけを選択していました。最初から勝てる勝負しかしなかったんですよね。
そこがずっとコンプレックスというか。自分のことを認められない部分でした。そんなイメージの殻すらを破ってチャレンジしたり好きなことしてる人にずっと憧れていました。でも、怖くてできない。
こと、今回の恋に関しても同じ感じだと気づいたんです。既婚者子持ちの私が今、恋に対してそんなチャレンジする意味なんて全くないのですが、それゆえに大好きだった恋が本気でできないことに苦しんでいるのだと感じました。
チャレンジできない、近づけない、叶わない。それをしたら今の家族が壊れてしまう。壊す気なんか1ミリもない。けれど、純粋に恋のドキドキをもう一度味わいたかった。もう一生味わえないのか、、、そんな絶望です。


つまりは、私にとっての恋の楽しさとはハンティングの楽しさだったのです。追いかけて近づけて手に入るまでの過程が好き。(ちなみにこのハンティングの精神は営業でもめちゃくちゃ役立ちました。でもその分、お客さまによく本気で恋してました。笑)
だから旦那と結婚してからは営業は辞めました。私の仕事のスタイルではどちらも続けられないと。そして、当たり前ですが恋ももう辞めなきゃいけないと思い、このハンティング精神は心の中に閉じ込めました。
取り出したら家庭が崩壊する。取り出しても、絶対に手に入れることができない今の私からしたらそれは恋じゃない。
この前の記事に"旦那さんには恋してない"と書きましたが、もう手に入ってるんだもん。私のいう恋ができるはずない。

この絶望感、虚しさ、どうやったら満たされるのだろうか。むしろこれは本当に今欲しているのだろうか。
そんなことをここ最近考えていたのですが、2日前、田中圭さんのイベントに参加して、このモヤモヤが消えて、なんなら幸せに生きるための人生哲学にまで辿り着きました。

イベントでは田中圭さんは近くにいた。目の前で目を合わせて名前を呼んでもらえたし、人となりもかなり見えた。生歌も聞けたし、なんなら一緒にカラオケに行ってる気分にまでなった。めちゃくちゃときめいたし、何億年ぶりくらいに心臓が破裂しそうになった。でも、やっぱり色んな意味で現実感はない。現実感のない存在に対して、私はやっぱり恋はできない。
周りからミーハーと呼ばれる私は、私の哲学上でのミーハーではなくなったのです。嬉しいような、嬉しくないような。

そんな複雑な思いを抱えながらも、画面の向こうやどこか遠くにいる田中圭さんを想像してちょっと寂しくなったりしていましたが、昨日丸一日忙しなく家族と過ごし、家族がすぐ隣にいることに大きな安心感を覚えました。何よりもほっとできる場所。ふとした瞬間に田中圭…とはなるけど、娘がぎゃーっと叫んだ瞬間に田中圭はいなくなり、愛おしい現実がある。
その忙しない今に一生懸命だと、今に十分満たされ、田中圭への恋心なんてなくてもいいんだと感じました。田中圭さんなんだかごめんなさいなんだけど。笑
(今おっさんずラブの主題歌が脳内で流れてる…)

ということで、田中圭さんのイベントを通して私は恋に対する未昇華だったコンプレックスを昇華し、今を生きる大切さを改めて知ることができました。

今を生きていないと、やっぱりほんとどうでもいいこと(その時は真剣だけど)を考えてしまうんだなぁ。


ということで大人の恋愛哲学の結論ですが、暇になったらいらんこと考えるから、今を一生懸命生きろ!なのかもしれないですね。
初めて恋愛について考えてみたのでとっても浅い話かもしれないですが、どこかの誰かのヒントになれば嬉しいなぁと思います。恋愛だけじゃないですからね、この考えは。人生における幸せのための一番大切なことだと私は思ってます。


今日は連休明けですが、今日も一日、今しかない瞬間をポジティブに過ごしましょ。
では最後にポジティブの代名詞、田中圭さんのお写真を。(イベントの時の田中圭さんです♡イケメン♡)


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