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『大人のひきこもり』について学ぶ:反抗期のない子供の親への復讐



 先日、押川剛さんの『子供を殺してくださいという親たち』という本について紹介した。


 そこでわたしはひさしぶりに『長期ひきこもり』につい興味を持ち、Amazonで押川剛さんの本を2冊買った。

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 『子供の死を祈る親たち』は元々本棚にあったがしばらく読んでいなかったので改めて初めから読んだ。あとの2冊も非常におもしろく、一気に読んでしまった。

 押川さんは本のなかで実際にあったひきこもりの事例をたくさん書いており、それが非常にリアリティーのある描写で書かれているので胸に迫るものがある。本当にこんなことが現実に起こっているのか、と疑いたくなるような悲惨なことがあまりに多く、驚かされる。





 どれも強烈だが、なかでもかなり印象に残ったのが、『子供部屋に入れない親たち』のなかで、押川さんが初めて移送を行ったときのエピソードである。

 その日移送をしたという青山浩二さんという男性は、四十二歳の独身。
 浩二さんは精神病院への入院歴があり、実家で母親と二人で生活をしているが、ここしばらく母親と連絡がとれなくなったと、心配した浩二さんの兄から依頼があったのだ。
 数日後、押川さんは兄の洋一さんと家に向かった。玄関に鍵がかかっていたので窓ガラスを割って家に入り、二階にあがり、とある寝室に入った二人は、電気をつけた。

 するとーーそこには異様な光景があった。

 布団の上で浩二さんと母親が抱き合って寝ていたのだ。しかも浩二さんは全裸。まるで子供が甘えるようにして、浴衣姿の母親にしがみついていたのだという。
 浩二さんは四十二歳の男性である。その年齢の成人男性が、高齢の母親にまるで小さな子供のように抱きついて寝ている……。

 正直想像するだけで、「うっ」となってしまう光景である。この世の地獄絵図とも等しい。読んでいるだけでそうなるのだから、実際にそれを目の当たりにした押川さんの衝撃はかなりのものがあっただろう(その後いろいろあって浩二さんの移送はできたものの、その後事務所に帰った押川さんは、しばらく体の震えがとまらなかったらしい)。




 その光景の何が衝撃だったのだろうか、と自分なりに考えてみた。

 べつに四十二歳だからといって誰かに子供のように甘えるな、というつもりはない。男だから甘えるのはおかしいというつもりもない。「もう○○歳なのに」とか「男なのに」という偏見はもたないようにしている。

 とはいえやはり、その光景はあきらかに健全ではない、とわかる。
 甘えるのはべつにいい。だけどそれは相手が母親ではないだろうし、甘える方法としても子供のように抱っこされる、というのはやはりおかしい。

 なぜならそれは本来、子供の時に済ませておくべき甘え方だからだ。
 子供ならば、相手が母親でも、抱っこされて甘える、という方法もいい。
 むしろそうしてちゃんと甘えられた子供は適切な時期(中学~高校ぐらい)になると親への嫌悪感・反抗心を持ち、その後、自然と親離れへと移行していく。
 そうして親から離れ、安心して世間へと旅立つことができるのである。




 対して、子供の頃に十分に親に甘えることができなかった、親が子供に甘えさせることができなかった家庭での大人は、本来あるべきの『反抗期』がないことが多い。
 むしろ親のためにいい高校、いい大学へと入るために勉強することすぎて、反抗するという気持ちすら奪われていることが多々ある。
 だから親はそんな子供を見て「本当に私たちの子供はいい子だ」などと馬鹿なことをいう。しかし適切な時期に適切な『親への反抗心』を持たなかった子供は、親離れをする機会を失い、どんどん歪んでいく。 

 確かにそのまま親のいうとおりのいい大学、いい会社への就職ができた場合はいい。
 しかし勿論全員が全員そうして成功するわけではない。成功する人間がいればできない人間もいることも当然である。

 たとえば志望校の受験に失敗した、もしくは大学に行けたけれど大学生活に馴染めなかった、そもそも行きたい大学ではなかった。いい会社に入社できるまでは頑張ったけれど、その後人間関係につまづき、数ヵ月で会社を退職した、など。

 そうした挫折は、人生において誰にでも起こりうることである。どんな成功者でも、自伝などを読むとそうした挫折が人生においてかならず起きていることがわかる。むしろ平凡に生きている人間よりも、そうした挫折が多くあり、しかし成功している人間はそうした挫折をむしろチャンスととらえ、方向転換したり、バネにしてもっと飛躍したりしている。そして決まっていうのが、「あの挫折があったから今の自分の成功がある」という台詞である。

 つまり挫折は人生においての弊害ではない。むしろ好機ととらえればこれほどありがたいものではない。
  しかし別の人間にとってはその挫折により家に引きこもるようになり、社会から隔絶した生活を何十年と過ごすきっかけになっていることもまた事実である。

 わたしはそうして引きこもるひとを成功するひとよりも弱いとは思わない。
 ただ気になるのは、そうして長期ひきこもりをする人間が決まってひきこもりになる以前は名門高校、名のある大学や会社にいっており、エリート街道を歩んでいる人間が多いことだ。そうしてあまりに親の期待に応える人生を歩んでいることである。想像であるが、きっと反抗期もほとんどなかったのだろう、と思う(あったのならばそんなふうに親の期待に応えた人生を歩めないと思うからである)。


 

  反抗期がないとどうなるかというと、簡単にいうと親への『執着心』を捨てる機会を失う。 
 わたしたちは生まれた瞬間から、親へのーー特に母親への強い執着心を持って生まれる。それは生まれながらに一人では生きられない子供が、生きるためには親の力を借りなければならないというのを本能として理解しているためだろうと思う。
 ちなみに人間以外の動物は一年もあれば親から自立して立派に群れに加わるもので、こんなに生まれながらに弱い存在であり長く親の力を借りなければ生きられない動物は人間だけらしい。


 しかし人間は社会的動物である。
 子供の頃は生きるために親への執着心を本能として持っていたが、ある程度大きくなり、親の力を借りずに生きられるようになれば、次は社会に出るための力を得なければならなくなる。
 つまり人生において、かならず『親』から『社会』への移行を行う時期がかならずくるということである。それがいわゆる“反抗期”である。

 反抗期により、それまでべったりとはりつくように持っていた親への『執着心』をはがすことができる。それは時に痛みをともなうものであるが、社会に出るためには大切な作業である。

 だがそれは言葉でいうほど簡単なものではない。なぜなら『親への執着心』というのは生存本能のひとつだからである。動物にとって生存本能というのは非常に強い力をもつ。
  だからこそ“反抗期”をもつためには、それをしても大丈夫であるという安心感が家庭にないと非常に難しい。ある程度自分が反抗しても家庭が壊れない、親が壊れない、という安心感である。

 しかし反抗期がない家庭、というのはそういう安心感がまったくない。
 たとえば親に口答えするだけで殴られる、食事を抜かれるといった虐待があったり、もしくは親の精神が弱く、日頃から子供に愚痴を聞かせ続けていたり、家族の悪口をいうような親へは、「もし自分まで母親を悪くいったら母が壊れてしまう」という不安感の方が打ち勝ってしまい、とても反抗などできなくなってしまう。


 つまり反抗期がない、というのは非常に危険な状態なのである。しかし無知で馬鹿な親は反抗期がない子供のことをむしろ「私たちの子供は親に逆らわないいい子だ」などという。
  確かにそのままいけば「いい子」のまま、親の期待に応えるような「いい大人」になり、そのまま人生を終えることもある。
 しかし上にも書いたように、全員が全員そうできるわけではない。そもそもその人生を選んだのは自分の意思ではないので、むしろできない人間の方が多いのが当然なのである。

 そうして親の期待するような「いい大人」になれなかった「いい子」はどうなるのか。 
 社会に出ることに躓き、しかし反抗期がなかったために『強い親への執着心』だけは持っている。
 『執着心』は愛情にもなるが憎しみにもなる。それは「親に愛されたい」という執着心である。
 だが「いい大人」から外れた子供を愛するような親であればそもそも反抗期がない、なんて事態にはならない。親の期待から外れたような子供を親は愛するどころか嫌悪するようになる。そうすると子供は非常に傷つく。そして傷ついた子供は、一転して親を激しく憎むようになる。だから家庭内暴力をしたり、長期に渡って引きこもるようになったり、親を奴隷にように扱うことによって親への復讐をするのである。
 だがその憎しみはただの憎しみではなく、その裏には必ず「親に愛されたい」という『執着心』がある。だからこそ表立っては親を激しく憎み、親に包丁などの凶器をむけたり、「殺すぞ」といって暴言、暴力をふるいながらも、親から離れることしない。親を憎い憎いといいながら、決して親にいる家から離れないのである。

 

 そして反抗期がなかった家庭の子供は、小さい頃、母親に子供のように甘えることができなかったことが多い。
 そうした「子供のように母親に甘えたい」という気持ちが激しい執着心と同時にのこっており
 だからこそ浩二さんのように立派に成人した人間に、幼い子供のように母親に抱っこされて眠るという行動をさせるのではないかと思う。


 つまり何度もいうように、根底にあるのは親への『執着心』である。
 健全な家庭であれば、中学~高校にかけての“反抗期”によりなくなっているはずの、人間が生まれながらにしてもっている生存本能である。

 それをはがす機会を失うと、子供はまるで呪いのように、何歳になろうと、死ぬまで親に執着するようになる(家から離れている、離れていないに関わらず)。






 長くなってしまったので、“反抗期”についてはまた機会があれば別の記事にかいておきたいと思う。


 ちなみに図書館で別にまた「長期ひきこもり」についての本を3冊借りた。

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 読んだらまた感想を書こうと思う。



































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