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ほねかみ

 たつさんの骨を盗んだ。
 辰さんの奥さんが、辰さんの足の骨を骨壷に入れているすきに。
 他の参列者たちも足の方を向いていたから、辰さんの右手中指の骨をそっとつまんでポケットに入れた私のことなど誰も見ていない、と思った。

「主人がお世話になりました」
 葬儀が始まる前、奥さんは辰さんの漁師仲間にそう言い、私にも同じ声色こわいろでそう言った。
 この小さな漁村では、誰かの葬儀があると、村のほとんどの人が出席して最後までお見送りをする。だから、港の前で小料理屋をやっている私が火葬場に居ても、誰にも不審に思われなかった。

 辰さんの骨を喪服のポケットに入れた私は、壁際まで移動して、辰さんの親族や仕事仲間が骨上こつあげするのを、うしろから黙って眺めた。
 それは、船が帰ってきたときと、同じ。
 船が港に帰るとき、漁師の家族が出迎える。私はそれをうしろから、店のなかから見ていた。
 私の店の窓からは、無事に帰ってきた漁師やその家族の笑顔が見える。窓の向こうは賑やかで活気に満ち、私のいる店のなかは夜の海底のように暗くて静かだった。
板子いたご一枚下は地獄』というけれど、酒の飲み過ぎで海に落ちてしまった漁師の辰さんは、どこに行ってしまったのだろうと私は思う。
 天国、それとも、地獄。

「さっき、辰さんの骨をっただろ?」
 火葬場からの帰り道、ひとりで歩いていると、上田に肩を叩かれた。
 上田も漁師で、私の店の客だ。
「えっ? なんのこと?」
 しらばっくれる私の顔を、上田は細い目でじっと見つめた。
「へぇ、あんた、辰さんとそういう関係だったんだ。知らんかったなぁ」
 黙っていると、上田は笑みを浮かべたまま、自分のささくれた唇を舐めた。
「今晩、あんたの店に行くから。よろしく」
 そう言って、上田は去っていった。

 『小料理屋 みなと』は、今日だけお休みにした。明日にはまた、看板に灯りを点す。
 辰さんが好きだった純米吟醸酒を、冷やで二つのグラスに注ぐ。いつものように、私のグラスを辰さんのグラスに軽くぶつける。最後の乾杯。
 辰さんの右手中指の骨はテーブルに置いた。
 それを眺めながら、冷や酒を飲む。辰さんと私との間の数年間を、思い出しては飲む。思い出しては飲む。思い出は、すべて呑み込む。

 カランカランと扉を開ける音がして、上田が店に入ってきた。
「着替えたんか。喪服のあんた、いつも以上に色っぽかったのに」
 上田はすでに酔っているようで、日に焼けた顔は赤黒く、足元はふらついていた。
「なぁ、辰さんの骨の件、秘密にしといてやるからよぉ」
 そう言って、私の腕をつかみ、乱暴に引き寄せた。
「黙っといてやるからよぉ。いいだろ?」
 右手で、私の尻を撫で始めた。
 私は抵抗することもせず、上田の腕の中でじっとしていた。顔を上げ、上田の充血した目を見る。
「いいわよ。私は、港の猫と同じだから」
「猫?」
「漁師が落とす、魚で生きてる猫」
 上田の手が、尻から脇腹へと這う。
「ふん。あんた、海の男が好きなんか?」
「べつに。漁師が落とす、情で生きてるだけ」
 上田の手が、乱暴に私の胸をつかんだ。辰さんとは違う、恥知らずな指。
「あっ、上田さん、辰さんの骨の件だけど」
 私は上田の腕の中で言う。
「さっき、私、食べたの」
 上田の手がぴたりと止まった。
「食べた? あの骨を? 辰さんの骨、あんた食べたんか?」
 充血した目を見開く、上田の滑稽《こっけい》な顔。
 私はうなずき、上目遣いで上田を見た。
「私のなかに、いま、辰さんがいるけど。上田さん、気にしないですよね?」
 私のなかで、辰さんの指が愉快そうに動く。
 くすくすと笑う指の存在につられて、私も笑った。くすくす。くすくす。
 
 
 
 2024.2.4 新作


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