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才能の見極め方

他の人より没頭している時点で才能だ。

ここでポイントなのは《ジャンルは問わない》こと。

ゲームやギャンブルなどの遊びは生産性がないため、熱中しても《没頭》とはみなされるが、《才能》や《努力》とは見なされないことが多い。これが勉強なら努力になるのが不思議だ。たとえ本人が遊び感覚でやっていようとも関係ない。感情ではなく姿勢とやっているジャンルに左右されているのだ。不思議なことだが。

そしてこの没頭は人によってレベルが違う。しかしどこのコミュニティにおいても、多数の人間より没頭する例外がいる。

原田氏:
たとえば5人兄弟がいたとします。
最初は同じスタートラインで格ゲーを始めますが、だんだん腕の差がついてきます。それでも上には追いつけそうなので、下のみんなは悔しいから懸命にプレイする。

しかしあるときから三男だけが異様に研究し、寝る間も惜しんでプレイしたとしましょう。徐々に何回やっても三男に敵わなくなっていきます。すると飽きます。腹も立つし、ついていけない。

でも長男だけはなんとかその三男を倒そうと頑張り、やがてこのふたりが恐ろしいレベルにマッチアップしていく。
その結果、次の作品が出ても、次男や四男たちはやりませんよね? 長男と三男の恐ろしいレベルの闘いを目の当たりにするしかない。

格闘ゲーム暗黒の10年


さっきから格闘ゲームの話題オンリーだが、ゲームというたかがと言っても過言ではない娯楽ひとつとっても、狂ったように情熱を注ぐ人間はいる。
格闘ゲーム以外にも言えることだが、そんな極端な人間は一部だ。
言葉を選ばずに言うと狂っている。

最初にみんなでハマった『ストリートファイターII』は、しばらくして廃れた。その理由は、S君が昇竜拳を確実に出せるようになったからだった。

波動拳を撃って体力を削り、ジャンプして避けると昇竜拳で撃ち落とす波動昇竜拳という戦法に誰も勝てない。

そうなると、みんなプレイをやめてしまった。ゲームセンターに行っても、S君だけが対戦するようになっていった。

上記ブログ

最終的にはプレイヤー間の差はカバーしきれなくなっていった。

その後、私とS君は友達グループから離れ、学校内のゲーマー集団に所属することで楽しく上達していった。
が、そのグループでも最終的には新作以外の格闘ゲームを遊ばなくなる。
新作が出たときはみんなで楽しく遊ぶが、S君の上達速度が速くなりすぎ、すぐに一緒に遊ばなくなってしまったのだ。

そのサイクルはどんどん早くなり、卒業時にはグループ内でS君と対戦することはまれになっていた。彼は格ゲーの勘も良かったし、効率的な学習もできていた。

最終的にS君はゲームセンターで見つけた仲間のグループに入り、そのグループ内で頻繁に対戦するようになっていた。

上記ブログ


スマブラは流行った。
だけど《真剣に》やり込む人はあまりいなかった。

大抵の人間のライフスタイルというか、物事の取り組み方は《浅く広く》だ。
レーダーチャートで表すと、綺麗な正六角形になるような取り組み方をする。

しかし稀にこのレーダーチャート項目のひとつが突出する人間がいる。

分野は様々だ。

前述したように《ゲーム》そのほかにも《野球》や《テニス》《格闘技》《漫画》《将棋》《ギター》《歌》《ピアノ》など。

これらをやり込んで頭ひとつ抜ける人がいる。

やり込む理由はひとつだけ

楽しいから


上記のブログで登場したSくんは明らかに格闘ゲームを楽しんでいた。

絵をめちゃくちゃ描く人も楽しんでいるのだろう。

そんな人たちを見て、他者は努力という。そして真似をするが、苦痛を感じて飽きる。自己嫌悪に陥るかもしれない。
 
しかし本人は努力などしておらず、楽しんでいるだけだ。努力などしている意識はサラサラないので当然、苦痛など感じていない。

一度12時間ぶっ続けでその物事に取り組んでみるといい

そうすると好きかどうか分かる。
それで次の日に向き合うのが嫌になったら、好きじゃないんだ。



しかし続けられることが出来たとしても、得意とは限らない。

林修先生が言ってた


好きこそ物の上手なれとも言うが、下手の横好きとも言う。
ことわざは当てにならない。ケースバイケースだ。

確実に《好き》であり、《続けられる》《没頭できる》才能はあるが、得意かは分からない。
しかし量をこなせばズブの素人よりは確実に上手くなるため、熱意が消えない限り、才能があるという認識で間違いない。

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