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親のエゴと優しさ【毒親】

みなさんはエゴと優しさの違いを考えたことがありますか?

全然違う言葉のように思えますが、両者は時に勘違いされやすいのではないでしょうか。

具体的にイメージするために、まずは以下の状況を思い浮かべてみてください。
実はこれ、私が実際に育ってきた家庭環境に関連するお話です。
ぜひ最後までお付き合いしてもらえたら嬉しいです。


【状況】親がこどものためを思って、友達との外出や連絡ツール,エンタメ全般(ゲーム,テレビ等)を禁止する。

親視点:
・こどもがトラブルに巻き込まれるのを防ぎたい
・勉強をさせて良い学校に行かせたい
・時間,お金を有効に使ってほしい
・家族との時間を大切にしてほしい

子視点:
・周りの友達と疎外感を感じてしまう
・家族以外の人と深い関係を築くのが難しくなってしまう
・必然的に勉強に意識が向く
・話についていけない時がある

親は子の将来を考えた故に、このような対応をしました。これはどうでしょうか。優しさというでしょうか?

私の回答はNoです。
なぜなら、親は子の立場にあまり立てていないからです。全てに親のエゴ(無意識の可能性あり)が隠れています。



・こどもがトラブルに巻き込まれるのを防ぎたい

▶︎トラブルが面倒臭い。
本当にこどものためを思っているなら、外出や連絡禁止のその環境が、友達とのトラブル(仲間はずれやいじめなど)のきっかけにならないか、もう少し良く考えるはずです。


・勉強をさせて良い学校に行かせたい

▶︎子の将来が安泰だと親が安心できるから。または世間体を気にしている。

良い学校に行けば良い人生を歩めるのではという見解は、あながち間違っていません。将来を見据えた時、お金(衣食住などの)に困る心配がない方が良いに決まっているでしょう。

しかし、現在の幸せにきちんと目を向けてあげられているでしょうか。残念ながら人間は、今を楽しめない人はこれから先も結局楽しめないと決まっています。いつか性格を変えなければ、ずーっとそのままです。

過度に禁止して厳しくすることで、間違いなくQOLは下がり、幸せを感じづらくなるでしょう。むしろ、生きづらくさえ感じるかもしれません。

禁止されたことで友達と何も問題が起こらなかっらまだマシですが、いじめなどの被害者になってしまったらどうでしょう。地獄です。

それ(いじめ)は親のせいではない、と言う人がいるかもしれません。たしかに、禁止だけでいじめに発展することは少ないのかもしれません。でも私からするとどちらでも大差ありません。親が逃げ場を奪っているからです。

家族が逃げ場になっているなら救いですが、こどもの意見が反映されず親の権力が強すぎるこういう家庭では、本当の意味でこどもは親に心を開いていません。


エンタメ性のあるものを禁止し、勉強など実用性のあるものしかやらせない。

これを、こどもはどういう風に受け取ると思いますか。
結果を出さないと、自分を認めてもらえない。
少なくとも私はそう感じました。

このようなプレッシャーを煽るような切迫した環境の中で、学校で嫌なことがあると、本人は居場所をなくします。
とても苦しくなります。
スマホにも逃げられないので、現実逃避もしづらいです。

こどもにこんな思いをさせながら、将来のためにと今の状況を省みようとしないことに何の正義も感じません。

将来を見据え計画的に行動させることは大事ですが、現在の状況をきちんと認識できていないなら、話が飛躍しすぎています。

地に足ついた考えができていないのは親の方です。子の幸せを願うなら、未来だけでなく今も幸せに生きれるようにベストを尽くしてあげましょう。



・時間,お金を有効に使ってほしい

▶︎名誉に結びつくことにしか目がない

娯楽を禁止することで、きっと勉強や運動に目がいくだろうという親の策略でしょう。こどもが楽しんで、勉強や運動に精を出しているなら、それはとても喜ばしいことです。

ですがこどもにだって、リラックスや気分転換の時間が必要です。それを容赦なく奪いとることは、残酷です。娯楽の時間をなくせば、単純に勉強時間が増えるという短絡的な考え方をしている人がいるならやめてあげてください。

集中して勉強するのは、案外難しいことです。それは、睡眠時間を少なくしたら勉強時間が増えると思っているのと同じくらい人間の本質を見逃しています。

減らすための努力より、増やすための努力に注目してあげましょう。

こどもは、親のためのロボットでも、おもちゃでもありません。人間なんですから、効率的に生きることばかりを求めるのは酷なことです。
こどもの内面を無視し、外面ばかり気にしているようでは、こどもは親を早かれ遅かれ嫌いになります。

余談ですが、とても心に残っている教えがあるので紹介させてください。

"こどもは親の言葉でなく、行動に従う"

これはどういうことでしょうか。

簡単にいうと、こどもは親に「ああしなさい」「こうしなさい」と言われたことを実行するのではなく、親が実際にしていることを真似て行動するということです。

つまり、親が努力している姿勢を見せれば、自然とこどもも努力したくなるし、親が人に親切にしている様子をたくさん見せれば、こどもも周りの人に親切にするようになる、ということです。

反対に、いくら「努力しなさい」と口で言っていても全く努力しない親だと、こどもも努力する気が起きません。こどもは案外「自分だってできていないくせに」という風に気付いています。また、いくら「人には優しくね」と暴言ばかり吐いている親から言われたところで、全く説得力がありません。

こどもに時間,お金を有効に使ってほしいなら、自分も時間,お金を有効に使いましょう。こどもに、人生との素晴らしい向き合い方を教えてあげましょう。

…そんなに完璧な人間じゃない?
それなら、こどもにも完璧を求めたり、理想を押し付けたりするのをやめてあげてください。泣
切実なお願いです。


・家族との時間を大切にしてほしい

▶︎自分が家族を大切に思っているから、こどもも大切に思ってほしい。
(ある種の見返りを求めている)

これは個人的に親側の気持ちもよくわかっているつもりです。親は好きな人と結婚して、こどもが生まれて、という幸せな時間を歩んでいるので、その時間を第一にと考えることは当然の心の働きだと思います。

一方で、こどもにとっては、特に学校にいくようになると、コミュニティーが家族だけじゃなくなります。家族と上手くやるのと同時に、学校でも上手く人間関係を構築する必要性が出てきます。

親がいなくても、上手く世渡りできるようにならなければなりません。早いと思うかもしれませんが、幼稚園に行くタイミングからこどもの自立はもう始まっています。親側は無意識にでも、こどもは自分の思い通りにできるものだと思ってしまいますが、それは越権です。

こどもが主体的に生きていくことができるように、少しずつ自立するチャンスを与えてあげる心の広さが、こどもの成長を促します。




ここまで読んでいただきありがとうございます。不快なお気持ちにさせてしまった方がいたら申し訳ありません。

最後に親子関係を含む人間関係で、私が一番大切だと思っていることをお伝えします。

それは「話し合うこと」です。
意見の一方的な押し付けになってはいけません。話し合いです。

ここまでたくさん否定してきてしまった身ですが、娯楽が学業に一定の悪影響を及ぼすこともわかっています。それでも、話についていけなかったり、疎外感を感じてしまうなどと苦しかったから、制限を緩和して欲しかっただけなんです。

私の家庭の場合は「衣食住を与えてもらっている身で、何をいう」と怒鳴られたり、「お前には100年早い」と話も聞いてもらえなかったりと何を言っても否定されるので、次第に何も発言できなくなり、学校だけでなく家でも居場所がなくなっていきました。

もちろん私も、完璧な親なんていないということも知っています。だからこそ、お互いが納得する妥協点を探しながら、お互いが成長をしていく必要があるのだと思います。

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