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幼少期の振り返り、現在

 やりたいことっていざ聞かれると
分からないときがある。
親父と住んでた頃、自由がない環境だった。

高校は私立駄目、公立にしろ
大学には行かせない、高卒で働け、
親はいずれ死ぬんだから一人で
生きていけるようになれ と
正座で長々と説教をくらう。
料理をするのも反対されてた。
服もファー付きの服は買うなと
言われていた。
親父は怒りの沸点が分からない人で
突然キレだしては頭を殴ってきたり
顎を掴んで威圧してきたり
自分の親友が危篤状態だと聞いても
英会話を優先するような
冷徹な人だった。

 お金はあるはずなのに家庭にはなく、
親父は自分の趣味には金を使う人だった
バドミントン、スノボー、デリヘル、
パチンコ、バイクなど…。
浮気もしていた模様。

そういう環境に育ったものだから、
やりたいことや夢というものが少し
分からないときがあった。

小学生の時は
限られた空間の中だけで
楽しみを探していた。
キックボードで近所を探検したり
お花屋さんでお花を見たり
学校で兎に餌をあげたり、
クワの実を集めたり
同じマンションの人の
わんちゃんの散歩に付き合ったり
神社を探索したり
学校では浮いてたけど
仙台に住んでた頃は楽しかった。
地元に戻ったのは高学年の時。
もうすっかりグループが出来てたから
そこに入っていくのが大変で
他学年の子や父方のいとこと
関わってたら
『同級生と関わりなさい』と
怒られた。
学校の先生が嫌いだった。
仙台と地元の給食の違いに戸惑ったり
環境の違いについていけなかったり
勉強も確か小4辺りからついていけなくなって
小学校高学年の途中や中学初めに不登校になった。中学は保健室登校や相談室登校だったが、今ではあの相談室は閉鎖され物置と化しているらしい。

あと、当時なりたかったものは
幼稚園→CCさくら
小学生→お花屋さんやパン屋さん
中学生→イラストレーターor漫画家(両親が離婚して絵に費やす時間が増える)
高校生→イラストレーターor声優(ここでやっと確定?)
だった。

でも、三者面談で進路の話をした際に
高校の担任に
『お前まさか絵の仕事したいなんて言わないよな?駄目だ』と、まだこちらが何も言ってないのにいきなり言われた。
女子は専門学校、男子は県外に就職という暗黙のルール?があった。
クラスで成績2位の女子が絵の道に行くことは許されたけど、何故か私は駄目だった。
というか、成績いいなら尚更いい学校行ったほうよかったんじゃね?と思ったり。


そして、現実は厳しかった。
高校卒業後、ベーグルカフェのインターンシップでパワハラに遭う。暴言罵倒を食らい、
過呼吸を起こした。
その後、大好きなお菓子屋の菓子製造のインターンシップの声がかかり、インターンシップ先を変更。
ただ、素手の作業が多く、アトピー性皮膚炎が悪化してドクターストップがかかった。
小さい頃は平気だったのに、小麦粉や土を触ると一発で荒れる体質になった。
酷いときは完治に5日ほどかかる。
花屋も飲食店もお菓子屋も、勤務できない現実。手袋をつけないと作業出来ない。
消毒液でも荒れてしまう。
好きなことを仕事にするのは厳しかった。

そして、声優に関しても
いざワークショップ受けたりしてると
色々な面が見えて分からなくなってしまって。
ネットの声優志望サークルで周りがなりたいって言ってたから、自分だけ置いて行かれるような気がして無理していた部分もある。

声優さんの言葉で実際に言われたことや
ネットで見かけたもので印象に残ってるのが
『夢を見ないこと』
『夢を人に届けるとか綺麗事を
思わないこと』
『助けてくれる人なんか周りに誰もいない。独りぼっち』
『お金を稼ぐためにやってます』
などだった。

ビーズアクセ作り、イラスト
ネットの声活動、演劇、バンドボーカル、
被写体、カフェ巡り、
色々なことを極めたり頑張り過ぎて
少し熱が冷めた自分がいる。
少し休憩してもいいのかもしれない。

最近は自炊と買い物とオシャレとメイクと
宅トレがマイブーム。
体調いいときは大好きな紅茶を飲む。
金銭的に余裕があるときは好物の筋子ご飯を食べるって感じかな。
もう少しメンタルが落ち着いたら、
仙台に一人旅したいかも。