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愛犬とのさよならの日のこと 【 3、最期の時 】 # 青ブラ文学部

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前回までの記事です。


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2人で最後の写真を撮り終えると、ここちゃんはまたぐったりと電気毛布に倒れ込んだ。
虚ろな目をこちらに向け、小さく手足を動かす。

部屋全体が深い静寂に包まれる。
空へとここちゃんを迎えに来るかのようにゆっくりと窓の外に映し出された朝焼けがいつの間にか群青の空に変わっていた。

動物病院の予約時間は午後2時。
もう1時間を切っている。いよいよ最後の時間だ。
今日の夕方にはもうこの子はいない。そう思うと自分の覚悟も揺れてしまう。

「10年間の最後のお別れがこんな形でごめんな。許してな···」小さな体を震える体で必死に抱きしめた。
それが僕にできる精一杯だった。

お別れの言葉を伝えた後、覚悟を決めて立ち上がり、ここちゃんの大好きだったブランケットを手に取った。病院までは歩いて20分。キャリーケースに入れるとここちゃんの体がもたない。ブランケットに包み、抱っこして連れて行くことにした。

服を着替えて全ての準備ができ、ここちゃんを抱き上げようとした時、急に自分の体が止まった。
思いとは裏腹に体が拒否反応を示している。

「ここちゃん、病院に行こうか」。

その一言がどうしても言えない。
それを言ってしまうと本当のお別れになるのだと思うと、涙が止まらなくなった。僕はその場に突っ伏し、顔をブランケットに押しつけて声を上げて泣いた。

(本当にこの子を死なせるの ? それでいいの ? だってここちゃん、まだ動いてるやん···)

心の中の声がまた僕の決意を揺るがしてくる。
僕はただただ泣いていた。静かな部屋に僕の泣き続ける声だけが静かに響いていた。

···1時間は経っただろうか。
ようやく気持ちの整理がついた。病院にお詫びとともに「今から行きます」と電話をかけてここちゃんをブランケットに包んだ。

「ここちゃん、行くよ」
ここちゃんをブランケットに包み外に出ると、雪が降っていた。凍えるほど寒い日だった。
ゆっくりと歩きだすとよく一緒に行った公園や川が見えた。これからこの場所に何度来ることだろう。

ここちゃんは腕の中で微かに目を開いている。
(目を閉じればもうこのまま逝ってしまうのかな···)
もう死期が早いことは素人の僕でも分かるほどだった。急ごう、ひたすら歩く。

目の前に通い慣れた◯◯動物病院の文字が見えた。
「ここちゃん、今まで本当にありがとうな···」これで本当のお別れだ。僕は意を決して扉を開いた。

おそらく病院側の配慮だろう。
医師、看護師以外は誰もいなかった。
「◯◯さん、中へどうぞ」という医師の声がした。
ついに最期の時が来た。静かに中へ入る。

医師が、腎機能が完全に消滅していることを確認した後、最後の処置に移ることを告げた。僕は目に涙を浮かべ、どうしても聞きたかったことを聞いた。

「先生、僕はこの子の立場に立って、少しでも早く楽にしてやりたいと思って、考えに考えてこの方法を選んだつもりです。でもこの子は明らかにもう長くはもちません。それなのに最後の時を自然に迎えるまで側で見守ってやらないというのは飼い主として僕は失格なんでしょうか··· ? 」

「お気持ちはよく分かります。でもこの子は見た目以上に苦しい状態です。昨日、今日も相当苦しかったはずです。仰る通り、もっても今日か明日ですが、それでも少しでも長く生きてほしいと願う気持ちを抑えて、1分1秒でも早く楽にさせてあげたいと思ってのこの判断は、医師として、1人の人間として、僕は間違っていないと思います」

その言葉は僕の心を救ってくれた。
ずっと罪悪感を持ってきた。最後のお別れがこんな形でいいのか。ここちゃんのためとは言え、あまりにも残酷で無責任なんじゃないか、と。
それだけに、こう言ってもらえたことで、迷いなく天国へ見送ってやれるような気がした。

最後に僕はここちゃんの鼻にキスをした。
家を出る時にいつも2人でしていた、「行ってくるよ」「行ってらっしゃい」の挨拶だった。
そして今日、今度は僕が送り出す番だ。

手につけられた注射針からゆっくりと液体が注がれる。僕は膝をついてずっと消えゆく瞳を見ていた。
(最後の最後まで僕が見守ってるから大丈夫。ここちゃん、ここちゃん···。行ってらっしゃい)

10年と9ヶ月。
僕をずっと見守り続けてくれた愛犬は、最後に僕に見守られながら眠るように天国へ旅立った。

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(最後に)

僕があの時下した判断が正しかったのかどうか、未だに分かりません。どちらも正解なのかもしれないし、どちらも不正解なのかもしれません。

あの時以来、僕は生まれて初めての感情を抱いています。ありがとう、ごめんね、楽しかったね、よくがんばったね、そんな言葉のどれでもない全ての感情を凝縮したような言葉にならない言葉。

ここちゃんと過ごしたかけがえのない時間。
楽しかった思い出、思わず笑みがこぼれるような仕草の1つ1つ、2人で病気と必死に闘った日の苦しみ。
それらを決して時とともに美化される思い出ではなく、ありのまま覚えていてあげたいと思います。

ここちゃんのことを知ってくれた皆さん、応援してくださった方々、本当にありがとうございました。

悲しみに暮れることなく、時々ここちゃんとの思い出に涙しながら、ここちゃんの分までしっかり生きていきたいと思います。おそらくそれが一番の供養になると僕は信じています。

「お疲れさま、ここちゃん」


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