191002_松下幸之助_1280_670

思い続け考え抜くことで成功へ繋がる紙一重の差を生む

松下幸之助 一日一話
12月27日 投げやらない

成功する会社と成功しない会社の差というものは、私は紙一重だと思います。

たとえば、今後、価格の競争が激しくなってくれば、われわれの製品のコストを10%引き下げるということを、当然やらなければなりません。もし下がらなければ、なぜ下がらないかということに対して、内外の衆知を集めなければならないのです。それを、自分の知恵の範囲で、会社の知恵の範囲でいろいろ考えて、これは無理だ、できないと言って投げやってしまえば、これは絶対にできないわけです。どうしてもやっていくんだというところに、一つの成功の糸口がだんだんとほどけてきて、必ずその成果が上がると思うのです。

https://www.panasonic.com/jp/corporate/history/founders-quotes.html より

成功する会社と成功しない会社の要因となる「紙一重の差」について、松下翁は更に詳しく以下のように述べています。

 天才と狂人とは紙一重というが、その紙一重のちがいから、何という大きなへだたりが生まれてくることであろう。たかが紙一重と軽んじてはいけない。そのわずかのちがいから、天才と狂人ほどの大きなへだたりが生まれてくるのである。

 人間の賢さと愚かさについても、これと同じことがいえるのではなかろうか。賢と愚とは非常なへだたりである。しかしそれは紙一重のちがいから生まれてくる。すなわち、ちょっとしたものの見方のちがいから、えらい人と愚かな人との別が生まれてくるのである。どんなに見ようと、人それぞれの勝手である。だからどんな見方をしようとかまわないようではあるけれど、紙一重のものの見方のちがいから、賢と愚、成功と失敗、繁栄と貧困の別が生まれてくるのであるから、やはりいいかげんに、ものの見方をきめるわけにはゆくまい。

 考えてみれば、おたがいの生活は、すべて紙一重のちがいによって、大きく左右されているのではなかろうか。だからこの紙一重のところをつかむのが大切なのであるが、これにはただ一つ、素直な心になることである。素直に見るか見ないか、ここに紙一重の鍵がひそんでいる。
(松下幸之助著「道をひらく」より)(松下幸之助著「道をひらく」より)

先ず、松下翁が仰る紙一重の差から大きな隔たりが生じてくるということに関しては、「1.01の法則」と「0.99の法則」の違いを数値的に見ることで理解するは容易いと言えます。例えば、昨日よりも今日は1%だけ改善する努力を365日(1年)続けたならば、

1.01^365=37.783434...... ≒ 38(倍)

となり、僅か1日1%の改善が、1年後には約38倍もの改善に繋がります。

他方で、昨日よりも今日は1%だけ怠惰する生活を365日(1年)続けたならば、

0.99^365 = 0.0255179645...... ≒ 0.03(倍)

となり、僅か1日1%の怠惰が、1年後には約0.03倍もの怠惰に繋がります。つまりは、「1」だったものが1年経つと、「3/100」と大幅に目減りしてしまうということです。

仮に、「10」の仕事能力を持つ人がいたとします。「1.01」努力と「0.99」の怠惰の間にある1日の差は「0.02」でしかありませんが、その積み重ねが1年経つと、方や「380」の仕事能力へ成長し、方や「0.3」の仕事能力に減少してしまい、1年の差は「380.3」の大きな隔たりへと拡大してしまうことになります。更にこの差が、5年、10年と累積されたならば、膨大な隔たりになっていきます。


翻って、なぜ松下翁は紙一重の差の具体例として、コストダウンのお話をあげているのでしょうか。その背景にある、松下翁のコストダウンに対する思いや考え方を知ることで更に理解が深まると言えます。

松下 ぼくは今まで、もう会社が小さいときから、ちっとも変わっていないんです、ぼくの考え方は。最近は、こっちで定価をつけますわな。そしてお得意先に「この値段で売りますから」と言うても、値切る人は一人もないですよ。素人の方は値切るかわからんけどね、問屋さんとか小売屋さんは値切らないですよ。だから非常に責任が重いんです。

 値切ってくれるのであればね、高くつけたって安心です。値切ってくれるから適当に値段が成り立ちますわな。値切ってくれないようになると、高ければ買わんということです。買うか買わんかという境目で値をつけるのやから、これは非常にむずかしいです。それが今、私が自分で感じることですわ。

 しかし小さいあいだはね、こっちが値をつけても、「何を言うとる、そんなもの売れるか、相場はこうやで」と、こうなりますな。したがって、小さいあいだは自分で値をつけられません。そうすると、むこうにつけてもらわないとしょうがない。まあ買う人は安くつけますわね。「松下さんこれ高いな、よそはもっと安いで」と、こう言う場合があります。そのときにぼくはね、「しょうがおまへんなあ」と言うて、まけなかったんです。

 そのとき、ぼくの目に浮かんだのは従業員の姿ですわ。原価が一円のものを一円十五銭と言うて、高いとおっしゃる。すると自分の働きが悪いのかということですね。自分の働きが悪ければ、これはしかたない。しかし顧みて、自分の働きは悪くない。一所懸命働いている。よそよりコストが高くついているはずがない。またそのとき、十人なら十人の者が朝の七時から晩の七時まで一所懸命働いて、汗水流しているのをこの目で見ていますわな。

 ぼくは、その人たちの成果というものを、無にすることはできないと思ったんです。だから「高いからまけろ」と言われても、「私のほうは一所懸命に働いております。それでそんなに下手なつくり方もしていない。あなたが高いとおっしゃれば、これはもうやむをえない。まかりませんから、どうぞよそをお買いください」とこうです。「そうか、そう言うならしょうがない、買ってやる」と、こうなるわけです。

 そのときにぼくが、それはしょうがないなあ、よそが安うするのやったら、うちも安うしないとしょうがないなあと思ったら、あきまへんのや。ぼくはそのときに、一所懸命働いておったかどうかということを自分で考えた。また従業員の十人なら十人が、汗水たらして働いているその成果を、自分の意思によって無にすることができない。そう考えると、非常に強いものが出てくるわけです。そうすると通るんですな。

 むこうは駆け引きしているわけです。一円二十銭のものを一円十五銭にまけろと言うているわけですね。こっちは初めから十五銭と言うている。こっちは値段ちっともまけない。けれど、結局はぼくのほうが安くなっとるのやね。だから、だんだん信用がついてきて、しまいにはちっとも値切らない。こっちが言ったら、「よろしい」というようなもんです。勝負が速いです。それなら儲かりますわ。そういうことですね。

 何ごとにもやっぱり自分で正しいと思うことには強い。自分に誤ったところがあれば弱くなりますわ。それといま言うたように、従業員が一所懸命にやっているのに、自分が簡単に当を得ない値段をつけることは、その十人の人の働きを殺すことになります。これは自分として許されないことやと私、思うんですね。常に頭に従業員のことがあるんです。だから、強みが出てくるんですね。

 ぼく個人は実際いうと弱い男ですよ、ほんとうは。けれどぼくは、そういう強いものをつかむわけですわ。この十人の成果を無にしてはいけないということがぐっと出てくるから、強くなるわけです。
(松下幸之助著「社長になる人に知っておいてほしいこと」より)

つまりは、コストダウンするか否かを決断する松下翁も、値付けに対する紙一重の差や、取引における紙一重の差を繰り返し、コストダウンが現実的に難しく紙一重の積み重ねでしか実現できないと誰よりも知っている上で、この状況下ではコストダウンが必要である判断して求めてくる訳です。やはりそうなると、「どうしてもやっていくんだ」という強い思いを一つの成功への糸口として、成果へ繋げることになるのでしょう。

しかしながら、「どうしてもやっていくんだ」では、非現実的で具体性がなく、

「何をいっているのか。どうしてやっていくか分からないからこそ、みんな毎日汗水たらして悪戦苦闘しているのではないか。どうしてもやっていくのだで成功したら、だれもこんな苦労はしない。」

と不満を持つ人も中にはいるのかもしれません。

それに対して、松下翁ならば次のように答えるのではないでしょうか。

「そんな方法は私も知りませんのや。知りませんけども、どうしてもやっていくんだと思わんとあきまへんなあ」

この「まず思うこと」の大切さについて、稲盛和夫さんは著書「生き方」(2004)にて以下のように述べています。

…心が呼ばなければ、やり方も見えてこないし、成功も近づいてこない。だからまず強くしっかりと願望することが重要である。そうすればその思いが起点となって、最後にはかならず成就する。だれの人生もその人が心に描いたとおりのものである。思いはいわば種であり、人生という庭に根を張り、幹を伸ばし、花を咲かせ、実をつけるための、もっとも最初の、そしてもっとも重要な要因なのである。…

ただし願望を成就につなげるためには、並みに思ったのではダメです。「すさまじく思う」ことが大切。漠然と「そうできればいいな」と思う生半可なレベルではなく、強烈な願望として、寝ても覚めても四六時中そのことを思いつづけ、考え抜く。頭のてっぺんからつま先まで全身をその思いでいっぱいにして、切れば血の代わりに「思い」が流れる。それほどまでひたむきに、強く一筋に思うこと。そのことが、物事を成就させる原動力となるのです。…
(稲盛和夫さん著「生き方」より)

「思い」というものは、実在せず形あるものとして目にすることが出来ないものですが、「すさまじく思う」ことで実在する僅かな差を生み出し、更にはその僅かな差が積み重なることで、やがては大きな成果へ繋がることになるのだと私は考えます。


中山兮智是(なかやま・ともゆき) / nakayanさん
JDMRI日本経営デザイン研究所CEO兼MBAデザイナー
1978年東京都生まれ。建築設計事務所にてデザインの基礎を学んだ後、05年からフリーランスデザイナーとして活動。大学には行かず16年大学院にてMBA取得。これまでに100社以上での実務経験を持つ。
お問合せ先 : nakayama@jdmri.jp

頂いたサポートは、書籍化に向けての応援メッセージとして受け取らせていただき、準備資金等に使用させていただきます。