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大丈夫じゃなくても大丈夫なふりをしてしまう

先日アフタースクールの面談で、小学1年生の長男がどう過ごしているか教えてもらった。「基本的には問題ないんですが、大丈夫じゃないのに大丈夫なふりをしてしまう時があるんですよね」と先生から言われた。

長男にはよく一緒に遊ぶ、Aくんという男の子がいる。Aくんは長男と二人きりで遊びたいタイプの子だ。だから他の子たちが「仲間に入れて!」とやってきた時、Aくんは長男に「なんか、人いっぱい来ちゃったな……あっちで遊ぼうぜ」と誘うのだという。

長男もAくんのことが好きだだから「うん」と言って、二人でその輪から離れていく。でも長男は他の子たちをチラチラと眺めている場面が、何度かあったらしい。本当は他の子たちとも遊びたいのだ。

あぁやっぱりね、と私は思った。私もそうだから。大丈夫じゃなくても、大丈夫なふりをしてしまうのだ。本当はやりたいことがあるのに、断りたいのに、相手のことを考えるとNOと言えない。「断ったら相手がかわいそうだな」とか「嫌な気持ちにさせちゃうよな」と考えて、ついつい引き受けてしまうのだ。「別に私じゃなくても良くない?」と思うような仕事、子供が行きたがるから仕方なく参加する親同士の集まり、残業代をもらいたい程うんざりするような部署の飲み会など。

私の場合はこの性質に加えて、時間の認識能力が甘いので、しょっちゅう最悪な事態を引き起こす。「この店なら家から10分あれば着くから、行くか」と思ってOKすると、30分はかかる。「この程度の仕事なら、引き受けても30分で終わるしな」と思っていると2時間はかかる。断れば良かった……そう天を仰いでも、時すでに遅し。結局無理をしてしまい、ストレス発散でサウナだとかマッサージだとか、辛いものを暴食することになる。

おそらくこの損な性分は私だけではない。世間では「断る力」「もっと自分を大切に」という類の自己啓発本がバカみたいに溢れているからだ。その手の本の最後には「私のオンラインサロンはこちらです」と、たかだかサンプル数=1のくせに、全人類に経験をシェアしようという、おこがましいビジネスが展開されている。

やっぱり溢れているということは、そうなりたい人が多いのだろう。でも英語とダイエットと同じで叶えられていない人が多いからこそ、溢れているのだとも言える。大丈夫なふりをしてしまうのに効く劇薬は、おそらく存在しないのだ。

アフタースクールの面談中、「よりによって彼に、私のその性質が遺伝したのかよ……」と憂鬱になりながら話を聞いていると、もう一人の先生が「でも先日、少し変化があったんですよね」と切り出した。

長男がAくんと遊んでいるところに、他の子たちがやってきた。Aくんは長男を連れて、輪から離れた。ここまでは普段と同じである。しかし長男はAくんと遊んでいる最中に「俺、やっぱりあっちで遊んでくる」と言って、彼から離れたのだという。「やっぱり俺も入れて!」と言って他の子たちのところに入って行き「あれ、抜けたんじゃないの?」と驚かれつつも「うん、いいよ。一緒にやろう」と入れてもらえれたらしい。

きっとどこかで彼は「断っても大丈夫だ」と判断したのだろう。それは本を読んだり、誰かから教えてもらったりして学ぶもらうものではない。「断って良かった。意外と大丈夫なんだな」とか「断り方を間違えたから、関係が悪くなっちゃった。次から断り方かタイミングを変えよう」とか成功と失敗を繰り返しながら学んでいくものなんだと思う。

「大丈夫じゃなくても良いんだよ、っていうのを私たちも伝えていこうと思います」と先生たちは言っていた。私も断れるようになろう、その決意を胸に保育園へ長女と次女のお迎えに行った。すると次女のクラスの担任の先生から「あの、保護者面談の日程が入っていませんが……」と言われた。

正直、面談は不要である。長男の時は第一子で色々と不安だったし、相談したいこともあったので、面談はきちんと行っていた。第二子の長女の時も、初めての女の子で、きょうだい育児だし、だるいけど行くか……と思いながら行っていた。しかし次女は第三子である。特に話すことはない。

断ろうとしたところ「この日程と、この日程が開いています。どっちにしますか?」と言われた。あいにくどちらとも開いているし、予定はガラガラだ。「えっと、じゃあこの日程で……」と言ってしまった。まだまだ前途多難である。


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