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自分が自分だと思っている者であるために必要なモノ

平和主義という方々がいる。
戦争反対を掲げている。

でも、それはその人たちの世界には常に「争い」が想定されているということだ。
前提として常に「戦争」がある。だから平和の為に戦う。立ち向かっている。


ヒーローに憧れる人がいる。
少年も少女も、いつだってヒーローに憧れる。
ヒロインだって戦う時代だ。その可愛くて強い姿、悪に屈しない姿に憧れる。

でも、ヒーローはヒーローである為にいつだって「悪」を必要としている。


ヒーラーは悩み苦しむ人を必要としている。
療術士は身体の不調に悩む人を必要としている。

カウンセラーも医者も、みんなどこか困ったことになっている人がいるから成り立っている。


本当はそういう人に手を差し伸べたいからその仕事を始めたはずなんだよね。
みんな苦しみから救い出す手助けがしたかったはずなんだ。

だけど、その在り方に無意識なまま居座っていたら世界は変わらない。
変わらない方がいい人もいるのかもしれないね。

以前お写真をお借りした「かごしま個人ボラ冬桜の猫活な日々」さんの記事。

仕事とは生まれては消えるもの

そんな風に潔く、自分がしがみついていたあり方を手放せるだろうか。
仕事は仕事で成り立っていたら、尚更現状を変えることに乗り気な人は少ないだろう。

でも目を背けてはいられないはずだ。
潔くは無くても、本当に知ったら手放すことを選択せずにいられなくなる。

苦しみと喜びのアップダウンという、ゲームやドラマのように刺激に満ちたこの二極性の世界を。
その二極性に根差した仕事の在り方を。

結婚して3年の月日を経た夫婦は、結婚の幸せを生み出すドーパミンがおよそ2年で切れてくることによって浮気の衝動が起きるのだそうだ。

当たり前の平凡な幸せを、それ以上の刺激を求めることで壊したくなる。

幼少期の家庭環境のトラウマから、ジェットコースターのような人生じゃないと落ち着かなくて自ら幸せを壊したくなる衝動に駆られる人もいるという。

それほどではなくても人は「山あれば谷あり」「苦あれば楽あり」が当たり前で、努力がないまま幸運を得ると自ら罰がないかと恐れてしまうようなところを持ち合わせているものだ。

機会でもなければこんな信念気づかなかったというほどに、当たり前に人間は無意識に引き継がれた観念の中で麻痺している。


そんな両極端も今までは必要だった

おかげで色んな幸せを知ることができた。
痛みを知ったおかげで優しくなれた。

でも今その二極性を手放したところで、幸せを感じる力も優しくなれたことも失われるわけじゃない

もういらない。

自分がどん底を味わうことも、誰かが踏みにじられて苦しんでいる世界も。
もう。

だから選択する。し続けるのだ。

まずは小さな内側の世界で。外へと繋がっている内側の世界で。

善もなく悪もない世界。
内側の水面が鏡面のように穏やかな世界を。

さざ波が立ってもそれは治まる。
原因を探して何とかしようと波風立てなければ。


その世界で、わたしは一見相変わらずのことをしているかもしれない。
或いは、習ったことだから、資格があるからと抱えていたなにかの仕事を消えゆくままにして、新しい仕事をしているかもしれない。

さてどうしているだろう。

この仮定に喪失よりワクワクを感じるわたしは今からその未来に会いに行くことにしよう。


* * *

写真は今年の正月の初日の出ならぬ夕陽の写真のうちの一枚。
隣町の神社の駐車場から、強風の中凍えながらのショットでした。自然の美しさに打たれて冬眠していられませんでした。

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