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安心できる世界が欲しかった

今日はこどもの頃のことをふと思い出したので筆をとりました。


怒号と物が飛び交う「家」

わたしの家族は一見すると普通の家族だった。父と母がいて私がいる。どこにでもいる3人家族。

でも、内側はそうじゃなかった。

母と父は性格や価値観の違いから喧嘩をすることが多かった。
母は口が強く、父は言葉が不器用な人だったため物に当たる人だった。(人じゃなくてよかった)

いつ始まるかわからない喧嘩。いつもビクビク。当時、自分の部屋なんてなかったから喧嘩が始まると「関係ない」ではいられない。

大きな怒鳴り声。扉を叩く音。物が壊れていく音。

ただ、こわかった。

こわかった。

ただただ、はやくおわってほしかった。


小さな頃の影響(心理面)

そうこうして育ったからか(そこにもともとの性格もプラスされて)

わたしは大人しい子に育った。

周りからは「えらいね」「よくできるね」と褒められるどちらかというと優等生。

当時はあまり意識していなかったけど、これが後々自分を苦しめる。


自己主張ができない。ことばがでてこない。言いたいことが言えない。

自分のしたいことがわからない。

自分には何もできない。

のに、人にも頼れない。頼ってはいけない。

どうしてわたしは普通の人みたいに生きれないのだろう。

どうしてわたしは普通の人の悩みまでいけないんだろう。
(勉強や恋愛、進路、みんなが悩んでるものがわたしにとっては先の先の悩みにみえた)

小さな頃の影響(身体編)

(*身体の悪化は家族だけが原因ではなく自分の習慣もある)

喧嘩がはじまるとできるだけ縮こまって、終わりがくるのをただただ待っていた。

あるときは布団の中。あるときは車の中。ひどいときはおばあちゃん家に避難(今思えばこの「居場所」がわたしを救ってくれたし、今のわたしに繋がってる)

どんなときもからだを丸めて息をひそめていた。当時はそれがわたしにとっての普通の姿勢で、自然な形だった。

それが大人になって、内側だけじゃなく外側も蝕んでいく。

お腹から呼吸できない。息が吸えない。胸あたりでつっかえる
(というのを大人になってちゃんと息を吸えるようになってから気づく)

もちろん呼吸はしてる。けどしてない。

きちんと「呼吸」ができない弊害はいろんなところにでてくる。

酸素がうまく循環していないから、

ニキビや口呼吸からの歯並びなど審美への影響

交感神経優位になってしまい、いつも気を張っている。
だから疲労やストレスが溜まりやすいなど

「姿勢」の影響もでてくる。

からだの歪みから痛みが発生したり、どこかに違和感がでてくるといろいろなことが制限されてくる。

からだは、皮膚は、自分よりも自分のことを覚えていて、教えてくれたりする。

その辺りが心と体はつながっていると言われる所以かもしれない。


伝えたいこと①「心からの笑顔と安心できる場はとっても大切」


これは、こどもおとな関係なくそうだと思う。

我慢したり、無理をしたり、はそのときは守るために必要だったかもしれないが、後々その弊害が返ってくる。

だから

我慢しないで

無理をしないで


わたしは昔癇癪を持つ子どもだった。普段おとなしい分、泣いた時にとても激しかった。だからわたしは自分のことを「異常」だと思っていた。

でも、よくよく考えたらわたしの家の中が「異常事態」だった。
それなのに、普通に過ごせる方がむしろ「異常」ではないか。
そのことに気づいたのは何年も経ってからだった。

だから昔の自分に。もしくは、もし今同じような体験をして悩んでいる人に。

泣き叫んでもいい。暴れてもいい。逃げてもいい。

今は切実にそう思う。


伝えたいこと②「自分の感覚でいい」

わたしはずっと自分はまだマシな方だから、こんなことくらいのことを人様に聞いてもらうなんて申し訳ないと思ってた。

虐待をされたわけじゃないし、育児放棄をされたわけでもない。

家族で遊んだり笑ったりした記憶もある。
とってもとっても大切にしてくれた。

でも。

悲しい、こわい、そう思った気持ちも自分の大切な一部だ。

それに、相手じゃなく自分を中心に置くようになって気づいたことがある。

例えば、この記事を読んで
「大変だったね。過酷な子ども時代を過ごしたんだね」と思う人もいれば
「そんなの全然まだマシだよ。わたしなんてもっと辛い境遇なのに」と思う人もいると思う。

感じ方に良い/悪いなんて何もないんだ。

大切なのは「自分がどう思うか、何を感じているか」

いつだって自分の感覚でいい

もう一つ。

今だから言えるというのもあるけれど、父も母も不器用な人で、その不器用なりにちゃんとわたしを愛してくれていたから、そういう意味でもこういう出来事をことばにする申し訳なさもあった。

でも、最近やっといろんなことに境界線がひけるようになってきた。

父と母も大変だった。でもだからといってわたしが体験したことを
「だからしょうがない」なんて思わなくてもいいってこと。

そして、嫌な部分はあるけれど、お母さん、お父さんが大好きってこと。(父は3年前に亡くなってしまったけれど)

そういうことを区別するようになってはじめてちゃんと出来事を受け止められるようになってきた。

「自分の悲しみはなかったことにしなくてもいい」

悲しみって見ないふりをすればするほどどんどん溜まって大きくなってくる。

悲劇のヒロインになりたくないのに、なりたくないと思えば思うほど悲劇のヒロインになってしまう矛盾。

だから、悲しみは悲しんでいい。

思いっきり悲劇のヒロインを演じ切ったら、次は喜劇のヒロインになれるから。


伝えたいこと③「世の中は不公平。でも、、、」

世の中は不公平。

例えば
小さいときにこんなことがあって、こんな人間になりました。
そっか。そうだったんだね。それはつらかったね。
たしかに共感や寄り添いでそこが癒されることはあるかもしれない。
でも、
そこから歩み出すのはほかのだれでもない「自分」なのだ。
動けない理由がたとえ「自分」になかったとしても。

年齢も、性別も関係なく、だれにでも

自分ではどうしようもないことで傷を負って飛べなくなってしまうことがある。

「誰か」「何か」が原因で前に進めなくなってしまうこともある。

原因をつくった「自分じゃない何か」にひどく憤りを感じ、「なんでわたしがこんな目に….」と思うことがたくさんある。

わたしも自分の環境や自分自身を責め続け、ずーっとその無限ループを繰り返してきた。悩んで、悩んで、悩んで、動けない時間がずーっと続いた。


何も変わらなかった。


少しずつ変わり始めたのは「頭」じゃなくて実際に自分の「足」が動くようになってきてから。(行動し始めてから)
(この辺りの話はまた整理できたら文章にしたいけど今は割愛)


いろんな体験を経て、またいろんな人と出会って、
(まだまだ人生経験浅いけれど)

「人生みんな平等だよ」なんて綺麗なことは口が裂けても言えない。

でも、

「どこかに希望はある」

そう心から言えるように「今」生きている。


おわりに

あまり、自分の内面を人に語らないのでまだまだ上手にことばにできなくてもどかしさを感じる。
もうちょっと客観視できたらまた書き直そうかな。

人生いろいろあるけど、今のわたしはなんだかんだ楽しく生きてます!
だから昔の自分や今苦しんでいる人に伝えたい。

そのときはそう思えなくても、
絶対に今見てる景色とは違う景色がみえる時が来るから。

だから、消えないで。
生きていてくれてありがとう。
















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