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カリスマCEOから落ち武者になった男――カルロス・ゴーン事件の真相①

フォーチュン500企業2社を世界で初めて同時に率いた型破りな天才経営者――彼はなぜ一夜にして、権力と栄光をすべて失ったのか?  

日産、ルノーの元会長カルロス・ゴーンの功罪と、日本、欧州、中東、アメリカ大陸を網羅し複雑に絡み合う事件の真相を、ウォール・ストリート・ジャーナル東京/パリ支局の記者2人が追った『カリスマCEOから落ち武者になった男 カルロス・ゴーン事件の真相』(ニック・コストフ&ショーン・マクレイン=著 長尾莉紗、黒河杏奈=訳)。話題の調査報道ノンフィクションから”プロローグ”を特別公開いたします。

本書の読みどころ
☞ ゴーン逃亡でスクープを飛ばしたウォール・ストリート・ジャーナルの東京支局/パリ支局記者2人が共著者
☞ 日産、ルノー、ミシュランの現・元幹部ら100名以上の関係者、逃亡後のゴーン本人に取材を敢行
☞ 1000ページを超える未公開法律文書、監査報告書、取締役会議事録、メールや社内文書を徹底検証
☞ 出生地ブラジル⇒レバノン⇒フランス⇒米国⇒日本/フランス⇒レバノン(逃亡後)と、生立ちから家族、立身出世まで知られざるゴーンの人物像を読むうちに「なぜ事件が起きたのか?」の解像度がアップ
☞ 計画から実行まで、逃亡の一部始終を詳述

内容紹介
レバノン人の少年ホスンは、明晰な頭脳と燃える野心を武器にパリに渡り、超エリート難関校に進学した。やがて「ゴーン」と呼ばれるようになった彼は、卒業後、タイヤメーカーの工場長からフランスを代表する自動車メーカーの重役へと、瞬く間に出世の階段を駆けのぼった。

合併、統合、再編――グローバル化の波とともに訪れた大手自動車メーカー戦国時代、日仏の「企業連合(アライアンス)」を率いるため遠い異国、日本へやってきたゴーンは、倒産間際だった日産を奇跡の V 字回復に導き、スター経営者として時代の寵児となる。数年後、彼はフォーチュン500 企業 2 社を同時に経営する世界初の CEO として、キャリアの絶頂に昇りつめた。

金も名誉も権力も、すべてを手にしたと信じていた。あの日、部下に裏切られたと知るまで、そして箱の中に隠れて、生まれ故郷へと逃げ落ちるまでは……。


プロローグ

 カルロス・ゴーンは目の前に置かれた箱をじっと見つめた。
 ……自由、か。
 それは縁をスチールで補強した大きな黒の木箱だった。音楽バンドが大型スピーカーや楽器を運ぶときなどに使うケースだ。

 ゴーンはこの逃亡のために雇ったアメリカ陸軍グリーンベレーの元隊員、マイケル・テイラーの指示を聞いていた。
 テイラーはゴーンがこれからすべきことをひとつずつ説明していた。この木箱の中に入って、あとはじっとしていること。蓋が下ろされ、しっかりと閉じられたら、あなたが入ったこのケースは動き出す。そうして箱の中に入ったまま、あなたは他の荷物と一緒にプライベートジェットに乗るのだ。

 ゴーンにとってプライベートジェットは慣れ親しんだ移動手段だった。ルノーと日産自動車という2つの自動車メーカーの最高経営責任者として、愛機のガルフストリームで世界中を飛び回っていたのだから。豪華な革張りのシートに寝そべって雲の上を飛ぶのは慣れている。しかし、今回の旅はまったく新しい体験だ。
 すべてうまくいけば、翌朝にはレバノンに所有する広大なブドウ園でブランチを食べているだろう。テイラーの助けのもと忽然と姿を消し、日本の司法当局の手から逃れ、告発された金融犯罪を数千キロの彼方に残して。

 その箱には自由の可能性が詰まっていたが、追い詰められた悲惨な状況を象徴しているとも言えた。もしひとつでも事がうまく運ばなければ、世界中の新聞の一面を飾って笑いものになることは間違いない。しかしその屈辱も、その後いやおうなしに行き着く場所よりはましだ──拘置所に後戻りなのだから。しかも、次に保釈される見込みはない。
 それでも、日本の裁判という泥沼で身の潔白を主張しつづけていくほうがはるかに悲惨な運命だと思えた。これまで100日以上の勾留生活を強いられ、弁護士をつけることも許されずに検察の取り調べに日々耐えてきたのだ。

 自分にかけられている容疑は、日産と中東とのあいだで金を複雑に動かして私利を貪ったという深刻なものだ。それだけでなく、日産と東京地方検察庁が自分に不利な情報を次々と流し、そのせいで自分を悪者とする報道が何カ月も紙面を賑わせたことで、入念に磨き上げてきたイメージもズタズタになってしまった。
 これから長い法廷闘争が待ち受けているが、その苦難を乗り越えるまで命が続くだろうか。たとえすべてのリソースと人脈をつぎ込んで裁判に臨んだとしても、日本の刑事裁判における有罪率が99%を超えることは知っている。それなら、たとえ一生逃亡生活を送ることになっても、逃げたほうがましだ。

 21世紀が始まってからの約20年間、カルロス・ゴーンは世界一著名な自動車王だった。2つの平凡な自動車メーカーを提携させてルノー・日産アライアンスというグローバルな巨大企業連合を構築し、世界中の批評家たちを驚かせた。しかしゴーンは、自分の報酬に決して満足していなかった。長年、自分よりも才能のない人間たちが自分より何百万ドルも多く稼いでいるのを目にしていた。彼は悔しさを募らせ、もはやそれは執着となっていた。

 2008年に金融危機が起きると、ゴーンは自らその不満を解消すべく動きだし、自分に本来ふさわしいはずの報酬を密かに得られるよう数々の手段を模索した。そして10年後、経営者としての最後の大仕事、ルノーと日産の合併を成し遂げようとしていた彼は、それが終われば全長37メートルの自家用クルーザーで幸せな結末に酔いしれるつもりだった。合併成功によって巨額の報酬を手に入れ、その金とともに引退し大富豪として余生を送るはずだった。

 ゴーンの説明によると、それが実現しなかったのは一部の日産幹部が共謀して彼を失脚させようと画策したからだという。ゴーンの周到な計画は、予想だにしなかった衝撃的な逮捕によって挫折した。味方はみるみる消えていった。政財界のリーダーたちのなかにも、彼を守る者やかばう者はいなかった。
 なかでも最も心が打ちのめされたのは、やはり自分の会社からの裏切りだった。特に日産にはあれほど貢献したのに。前年、彼が自ら後継者に選んだ西川廣人は、日産再生の記念碑として「Wheels of Innovation(ホイール・オブ・イノベーション)」と名付けられた高さ5メートルのステンレススチール製オブジェを公開したとき、それを「ゴーン氏による17年間のリーダーシップを振り返るもの」だと述べていた。しかしゴーンが逮捕された夜の西川は、ゴーンは私腹を肥やすために職権を濫用したのだと世の中に向けて語った(最終的に日産とルノーは1億ドル以上を不正流用したとしてゴーンを告発した)。

 経営者としての権力をすべて奪われ、犯罪容疑者に成り下がったゴーンは、その状況に激しく腹を立てていた。そう簡単に負けを認めるわけにはいかない。守るべきものは自分の名誉と品位だけではないのだ。自分の一族は母国レバノンから遠く離れた地で富を築き、始まりはアマゾンの熱帯雨林で祖父の代が成功させたビジネスだった。そのなかでもカルロス・ゴーンは最大の成功者だ。自分の輝かしい人生を不名誉な形で終わらせれば、祖父のレガシーを傷つけ、子供たちにも汚名を着せることになる。そんな運命を受け入れるくらいなら、自分の人生を懸けてやろう。

 テイラーといるホテルの46階の角部屋からは、大きな窓の外に大阪湾が見え、そのところどころを囲うように大阪の街明かりがきらめいている。もはや世界の頂点に立っているというより、世界の淵でふらふらとバランスを取っている気分だ。ゴーンは箱の中に体を収めた。

「ゆっくり呼吸してください」テイラーがそう言いながら蓋を下ろす。 
 視界が真っ暗になった。


※続きは本編でお楽しみください。

【著者紹介】
ニック・コストフ(Nick Kostov)
2015年からウォール・ストリート・ジャーナル、パリ支局の記者としてビジネスや金融ニュースを担当。欧州の大企業のスクープを報じてきた。ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン卒、パリ在住。
ショーン・マクレイン(Sean McLain)
2016年からウォール・ストリート・ジャーナル、東京支局の記者としてトヨタ、ホンダ、日産など大手自動車会社を担当。セント・ジョンズ・カレッジ
(メリーランド州アナポリス)卒、現在はLA在住。


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