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猫のいた生活

断然犬派の私が一度だけ猫を心から愛でたことがある。

この時期になると思い出す。

13年前の初夏、祖父の家の庭に1匹の子猫が迷い込んだ。祖父宅には祖父祖母の二人暮らしで、同居はしていなかった。高校が祖父宅と近かったので毎日祖父宅へ寄る生活を送っていた。

祖父の家の庭は広くて、池には大きな鷺が飛んできて池の中の魚を食べて行ったり、蛇が優雅に散歩していたり、野良猫数匹が駆け回ったり、眺めるには楽しい庭だった。

ある日、木陰で1匹、なにかに怯えながらじっとそこに留まる子猫がいることを祖父は教えてくれた。

どうやら祖父が隠れてエサをあげていたっぽくて庭に住み着いていた。よく見ると顔に血がついていてケガをしている。

母に事情を伝えて、動物病院に連れて行ったら、「蛇に噛まれ戦った後だろう」と、その猫が生きていたことを誇らしく思った。

「こんな危ない庭に置いていけない、また蛇に狙われるかもしれないし、魚を食べ損なった鷺にも狙われるかもしれない」

うちで飼うことを提案したが、実家には既に犬を2匹飼っていること、両親が共働きなことからうちでは猫は飼えないと却下され、祖父の庭で様子を見ることにした。

動物好きの祖父とは真逆で、とても厳しい祖母。
まだ小さい子猫相手に【断固拒絶】の姿勢しか見せず、そしてとても動物が大嫌いな人(うちに遊びにきても犬臭いと文句を言う人だった…蓄膿で匂いわからないのに…)だったので、猫を家に入れるとめちゃくちゃ怒られた。

それでも祖母の見てない隙を見てはかわいがった。名前はトムにした。 

連休中だったこともあり、叔父叔母が祖父宅に集まったとき、子猫の件で家族会議があった。

最初に餌付けをしたのは誰?と咎められたとき、祖父は完全に黙り私が餌付けした人間になった。祖父の性格は知っていたので私がその役割を担うことにしたが、叔母から責められたことを覚えている。

室外で飼うか室内で飼うか、私は絶対室内で飼って欲しかった。でも、祖父・母・私を除く叔父叔母従姉妹は動物が嫌いだったので室内で飼うことは却下され、どうにか説得して庭に寝床のゲージを置いていいことになった。(今考えると叔父叔母従姉妹は同居してない上に滅多に立ち寄らないので世話をしている私以上に発言権はない)

まぁ不満点もありながらも、それぞれの妥協点に辿りつき、正式にトムと暮らせる日々が続いた。

子猫だったトムも大きくなり、賢さが顔に出てきた。大人しくゲージの中で寝ている時もあれば、ふらっと近所に散歩に出かけることもあった。飼ってる責任として去勢手術もした。

犬派の私もトムだけは心から可愛く思い、祖父宅に行っては全力でトムと遊んで、飼っていることをこれ以上咎められないようにと文句言われないくらいお世話もした。

毎晩人間と同じ布団でぬくぬく寝る猫が世の中にはいるのに、こんな可愛い猫を外で生活させて…毎日心配していたある日、トムが動かなくなった日が急にきた。

祖父によると、朝ふらふらと歩きながら帰ってきてゲージの中で動かなくなったとのこと。息はあるが顔も血だらけで雑音混じりの息だったこと。急いで母に動物病院に連れて行ってもらった。

診断は、交通事故で頭蓋骨が骨折していること、脳震盪を起こしながら家まで帰ってきたこと、更に蛇に噛まれたとのこと。

全ての心配フラグが皮肉なまでに全て回収されてしまった。

そこからトムが居なくなるまでは、すぐだった。

家に帰ってくることに力を使い果たしたのか、回復することもなく死んでしまった。

トムが力尽きたと連絡を受けて母にすぐ祖父宅に車を飛ばしてもらい、動かなくなったトムと対面した。

トムに会える最後の日だったから、トムの亡骸は特別に玄関に入れてもらえた。

一般的に猫は自分の死んだ姿を人間に見られないようにするために隠れた場所で死ぬと言われているので、帰ってきたことは珍しかったのかもしれない。

「帰ってきて、育ててくれてありがとうって言いたかったのかもしれないね」と、人間の都合のいい解釈で乗り切るしかなかった。そうじゃないとやりきれなかった。家に帰ってきた理由はトムにしかわからない。

祖母は「まだ温かいんよ」と、初めてトムの存在を受け入れた発言をした。

いつもトムを玄関に入れていることがバレると半狂乱になり激怒してトムと私を外に追い出していた祖母が、あんなに嫌っていた祖母が玄関に入れて、トムを受け入れるほどの事態だと、私はひたすら泣いた。

私は人間のお葬式では絶対泣かない。どんなによくしてくれていた人でも涙が出ない。「はい、悲しんでください」とお膳立てされているような場所で素直に泣けないのだ。

でも、トムが死んだとき悲しい、というか虚無感が途轍も無かった。ただただ泣いた。感情を爆発させている私を申し訳なさそうに祖母が見ていたのを覚えている。

私が16歳を迎える前だったと思う。多感な時期に、私の死生観にも大きく影響を与えた出来事だった。

高校生活のはじまり。もちろんヴァイオリニストになるために音大に行こうとしか考えていなかった。

この出来事がなければ、自分は音楽だけしていていい人間だとちっぽけな自分を過大評価して無力さと足りないものに気づかないまま生きていたかもしれない。

しかし、果たして音楽〈だけ〉を学ぶことは自分にとって最良のことなのか。ほかに学ぶものがあるのではないだろうか

無責任な大人と、無力な自分を前にこれからのことをよく考えた。

私の行動次第でトムを救えたんじゃないか、トムの別の生きる道があったんじゃないか、トムにベストな妥協点は他にあったんじゃないか…考えるとキリがない。

義務教育しか終えていない、社会経験もない、大人にたてつく説得力もない、なにも持っていない私にトムが救えるはずがなかった。

ずっと落ち込みが続いてしまったので、愛猫家の友人に「猫ロスはいつおさまる?」と聞いたところ、「うーん、長引くよ」と言われた。たしかに13年経った今でもトムへの想いは消えていない。

「感情を伴った記憶は忘れることはできない」心理学徒の友人から言われた一言を何度も噛み締める。

外で猫を見かけると、無事に生き抜いてください、とこれからの無事を祈りつつトムの姿と重ねてしまう。

もし今生きていたらおじいさん猫になっているだろう。まだ生を受けて間もない小さな子猫が私に教えてくれたことはあまりにも大きかった。


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