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どこにいても同じこの状況を逆手に取る

ウィーンからの完全帰国を決めたのは昨年7月。

本来なら9月からドイツに住もうと計画を立てていた。約束は1年だったが、2年目までいようと思っていた。

でも夏に参加したい音楽祭が2つあり、費用もかかること、また私がウィーンが大嫌いになり精神的に疲れ切ってしまったこと、ドイツに1年住むにしてもめんどくさい書類の手続きもあり生活に慣れるのに時間がかかること、新天地で1年なんてできることが限られてしまう、ということを考慮して一度完全に帰国しようと決めた。

周りに完全帰国することをいうと「まぁ住む要領はわかってるし、また戻ろうと思ってもいつでも戻れるでしょ」と、破天荒な私の人生を見てきたからこそ出る一言だったのかもしれないが、自分の努力次第ではまた戻れると気付かされて完全帰国というワードから寂しさは消えた。

こういうとき私は人に恵まれていると感じる。

実際のところ、私は1年では留学と言えたのか疑問に思うことがある。もちろん自分の喜怒哀楽全てを出し切って、素晴らしい経験も現地の文化もフルに堪能した。音楽院にも入って、音大生にもなってみた。

でも1年、と考えるとまだ続きがあるように感じてしまい満足できていない。

もちろん日本は最高だ。私が生まれて初めて『この人の音色を出したい』と心から思える師に出会えた。数えきれないほどの巨匠のレッスンを受けたが、私はこの師匠に一生ついていきたいと思っているほどだ。
日本食も美味しいし、友達もたくさんいる。東京にはクールジャパンが詰まっている。

でもゴールはここじゃないのかもしれないと思うようになってきた。

一番大きいのは文化だ。残念ながらアジアの小さな島国に音楽文化の礎はない。そもそもクラシック音楽なんて輸入されたものなんだから仕方がない。

しかし、ここに帰ってくることを選んだのは自分だ。

だから、愚痴を言わないためにもここを出ようと思った。

人類共通の試練

いま世界が耐え凌ぐしかない状況だ

どこにいても状況は変わらない 。日本にいても、ヨーロッパにいてもいまを越える日常は送れない。

だから、留学期間に遂行できなかったことをいま全てやってしまおうというエネルギーに変換された。

パスポートよりも強い語学を習得すること

曲のレパートリーを増やしてどこにいてもヴァイオリニストになれること

尊敬する師匠が言わんとすることを全て受け継ぐこと

自分なりにたくさんの計画と戦略を抱き毎日野心を持って生きている。

今まで一度失った2016年の留学に執着をして留学を一つのゴールにしていたが、またゴールを海の向こうへ設置した。

とにかくいまを「停滞」にしないように、たんたんと生きる。

大嫌いだのなんだの言っているが、私はウィーンにいたことを一切後悔していない。ただ、滞在中は【消費】だとしか思えなかった。最近、【経験】だった、と思い返せるようになった。うまく美化できているのかもしれない。

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