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死なずに、生きた自分の手元にあった「音のコレクション」

さて、今日も書こう。今日はまだ何を書くか決めていない。決めないままに書く。とにかく毎日書くということなのだから。

ぼくは読む人のことをあまり考えていない。と、そう思うということは、けっこう考えているということなんだろう。

『アルテリ』の最新号に載っている坂口恭平さんの文章はそんな調子で書かれていて、はじめて読んだ時、ぼくはけっこう弱っていたので、涙をポロポロ流して泣いた(6月前半にここでそう書いた)。

「他人の意見はどうでもいいんですね?」と言われたことが、自分には何回かある。その時は「たしかに(いま、この場合は)どうでもいいな」と思った。

「どうでもいい」とすら思えない人が、それを大切にできるだろうか。

人は、感情の部分で、大きくかかわる、ということではないか。そういうことは、移ろう。移ろうものは、クッキリと見えないということもあるだろう。しかし、移ろいの中で、自分がそれにいかに支えられているか。

昨日のつづきで、今日は『アフリカ』の最初の号に載っている「音のコレクション」を読んでいた。10数年前に書いた、これは小説だ。

いろいろ書いていた中で、勝手に出てきたもの。考えて、書かれている部分が(自分が読んで)ほとんどなくて、ぼくは浮かび上がってきたものをすくい上げただけだ、と思う。

その背景には、「これから、どうやって生きてゆけばいいのか、わからない」ということへの、根深い思いがある。死への誘惑というか。

そんな中、ぼくが死なず、生きてここまできたのは、これが書けたからかもしれない、と思いすらする。

そこにあることばのひとつひとつから、ぼくは太いグルーヴを感じた。力強さがいつもと全然違う。

そんな書き方をずーっとやっていたら自分はもたない、死ぬだろう、でも、その時はそうやって書かないといけなかったのだ、と。

ながい人生、そういう時が、時折、来ますね。次、そんなことがあった場合、これを手元に置いて、励みにしようと思う。

そんな個人的な思いも、一緒に読んでくれている協働者を通して、少し普遍的なものになる。

この作業を通してぼくは1冊、つくろうと思っています。

(つづく)

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「道草の家・ことのは山房」のトップ・ページに置いてある"日めくりカレンダー"は、1日めくって、8月26日。今日は、「地元で最後の夏祭りへ」。

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